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雨の音の中、自分と向き合う時間に

雨の音の中、自分と向き合う時間に

雨、雨、雨。今日も雨だ。

5月のゴールデンウイークから五月病になれる間もなく、すっかり季節は梅雨になっていた。

今年の梅雨入りは例年より早く、一瞬訪れる瑞々しい「梅雨」の初々しさは失われる一方だった。

「あ~、もう飽きた」

だれもいない部屋でひとりつぶやく。

同じことの連続は飽きる。

でも、人生の大半は、同じことの繰り返しだ。

ふと見た電子時計は、容赦なく時間を突き付ける。

16‥38と無機質な数字が浮かんでいた。

「わっ、もう夕方か」

休日だからといって気を緩めて二度寝してしまった。

このオチだ。

生まれは千葉、育ちは大阪。両親が転勤族だったせいだ。大学を卒業し、上京。

新卒で入社した会社で8年目。

それなりに仕事も任されるようになり、それなりにたのしい。

人間関係も問題なく(まあ嫌いな上司は1人くらいいるけど)、まあまあイケメンの彼氏だっている。周りと、社会と、うまくやれる優等生タイプだと自認している。

でも、このままでは、何となくダメな気がしていた。

でもその「何となく」の正体がさっぱり分からなかった。

いつからか、しこりのように、私の人生に居着いている。

小1時間も布団から出られない中、本棚をぼーっと見ていた。

ふと目に入った、岡本太郎の本。

芸術は爆発だ!と、パンチの効いたことを言い放ったり、あの太陽の塔をつくったりした、愉快なおじさん(と言っていいのかは分からないが、私の中ではそんな感じなのだ)。

小さいころから、太陽の塔が好きだった。よく父親に連れられ太陽の塔を見にいった。

芸術のことなんてこれっぽちもわからないけど、堂々とそびえたつ太陽の塔に、なぜか心奪われた。アイツは私には無いものを持っていた。人間とは、全く異質。畏怖の念すら抱くような堂々とした出で立ち。心惹かれる理由は、よく分からなかったし、分かっちゃいけない気がしていた。

本棚になんでこの本があるのかすら忘れていた。

そうだ、なぜか私を気にかけてくれていた不思議な先輩から譲り受けたんだ。

2年前に、離島に行くと言って急に姿を消した先輩。

「お前はいつもお前じゃないな」と言われた日から、なぜか会社の中で唯一安心して話せた。

先輩元気にしてるかな、と思いながら、パラパラと本をめくる。

『「私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた」』

ふと目に入った、岡本太郎の言葉。

「困難な方、か・・」

困難なんて、無いほうがいいに決まっているんじゃないのか。

だけど、困難がないと、味気ない人生になりそうだと、何となくわかる。

有名人の密着ドキュメントを見ていても、必ずと言っていいほど計算ドリルを次々解くように困難を乗り越えていくし。

かといって、私が急に劇的な困難を受難できるわけでもない。

言葉の通じない国で奔走してゼロからビジネスを始める、とか。

いきなり無一文で他人の家に転がり込んで武道の教えを請う、とか。

今は人生の岐路でも何でもないが、私にとっての困難ってなんだ。

少し考えてみた。

よし、今日は、雨の中、外に出る。

私は、ひとまず、目の前にある困難なほうを選んでみることにした。

困難なんて、大小関係ない。困難なものは困難だ。

そう自分に言い聞かせて、雨の中出かけるという、傍から聞いたらあほみたいに小さな困難を私は選んだ。

着古したジーパンに、Tシャツを着て、髪をとかす。

近所だから、おしゃれしなくてもいいでしょ、と自分で自分を肯定する。

さっと支度を済ませ、外に出る。

玄関口に出ると、家の中より大きな雨の音が聴こえた。世界の音だ。

一本骨の折れた、古びた折りたたみ傘をさす。

傘から覗く空は、陽が沈んだ後の余韻を青暗く残していた。

夕方ってなんでこんなに切ないんだろう。

行く当てもなく、とりあえず、ふらふらと歩く。

5分くらい歩いていると香ばしい薫りがふわりと入ってきた。

いつも気になって入れなかったBAR&喫茶「翳(かげ)」だ。

青々しく蔦の茂った玄関窓、「BAR&喫茶」と書かれた木製の看板。

店構えから感じる華美ではなく上品でクラシックな雰囲気に、前を通る時はいつも耳を澄まし、目を凝らしていた。まるで、美術館にあるひとつの作品を眺めるみたいに。

たった数秒、その店の前を通る時間だけは、だれにも邪魔されたくなかった。

透き通った美しい世界に、身を浸らせる。

そもそもBAR&喫茶という業態に違和感を感じ、無性に惹かれていた。

BARと喫茶じゃ全然違うのに、どっちも同じ人がやっているのかな?とか、親子2代で昼と夜交代してるのかな?とか、通るたびに疑問が浮かぶばかりだったが、どこかでその答えのないクイズを楽しんでいた。

違和感がないように生きたいと思っているのに、

人はどこかで違和感を求めているのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、気づけばもう10分近く、雨の中店先で立ち止まっている自分にはっとする。

普段なら入らない。

いやでも今日は「困難な方」を選ぶんだ。

ひとさじの勇気を出して、私は導かれるように入った。

「いらっしゃい」

マスターがちらりとこちらを見る。

寡黙そうな、それでいて優しそうなお兄さんだった。意外と若くてびっくりした。

「どうかされましたか?」

だめだ、本当にすぐ私は顔に出るのだ。

小さいころから、嫌いなトマトが食卓に出ると、この世の終わりかと思うくらい暗い顔をしていたらしく、家族みんなに笑われていた。

それを思い出して、くすっとひとり笑った。

だめだ、また顔に出ている。

「あっ、いえ。なんでもないです。すみません!」

店内には静かなジャズクラシックが流れていて、海外の絵画や置物が、上品に置かれている。

椅子は深紅のビロードで、見ているだけでうっとりしてしまう。

背もたれには、薔薇の彫刻がされていた。

「今日は雨なので、お客さんひとりです」

ひとりごとなのか、話しかけているのか分からない、佇むようなやさしさでマスターは私に話しかけた。

「いや、お客さん、ここにおるって」

私よりも少し年上に見える、カウンター席に座っていた綺麗な女性が少しふざけた調子でマスターに向かって言った。

このお店が似合う人だなと思った。

「もう、えみさんはお客さんというより、近所の人ですから」

「ええんか、悪いんか分からへん。そのままやん」

仲がええんやな~と、数秒の会話から感じる。

ええな、こういうの。なんか。

心の声が関西弁になっていた。安心すると関西弁が出てしまうのが癖で、営業時代は苦労した。

(相手が関西出身と分かれば、これでもかとベラベラしゃべるが)

いつの間にか気が緩んでいる事に気づく。

安心のスイッチは、見過ごしてしまう何気ない所にある。

店内に入ってから、ずっと立っていることに今さら気づく。

えみさんと、ほどよく距離を取って、窓際の席に座る。

窓の外は雨。幾つもの水滴が窓の肌を滴り落ちる。

ずっと外から見ていた場所に、今自分がいる。

また少し緊張してしまう。

ふとカウンターの奥をみると、

「17時~BAR」と書いてあった。

そうか今はちょうどBARタイムがはじまったところか。

「えっと、お酒、とかって、ありますか?」

「どこやと思ってるんここ。おもろい子やな」

えみさんが笑う。

「もちろん」

少し微笑みながら、マスターが答えてくれた。

「どんなお酒がお好みですか?」

出た。私が1番苦手な質問だ。

お好みのものは、とか、お好きにどうぞ、とか聞かれるといつも困る。

でも、そんな自分を少し寂しくも思う。

「お好みが、分からないんです」

口をついて本音が出てしまった。

「好みが分からへんて、自分やのに?」

えみさんが笑う。

「わかりました。じゃあ、ぼくが勝手にお客さんのお好みを今からつくりますね」

マスターはやさしく言った。

シューっとお湯が沸く音がする。

その数秒後、ふわりと珈琲の香りが店内に立ち込めてきた。

少し目を瞑る。いつも店の外からしか触れられない、その香りに全身包まれていると思うと、しあわせで堪らなかった。

あれ?でもお酒じゃないんだっけ?

カランコロンと氷の音がした。

「お待たせしました。ブラックナイトです」

目の前に、青い薔薇の花が描かれた紙のソーサーが置かれる。

活版印刷らしく、花びらのふちを指でなぞる。

グラスに注がれた、まあるい琥珀色の湖は、どうしようもなく美しかった。

「ブラックナイト?」

「かっこいい名前でしょう。父の代から続く隠れ名物ですよ。コーヒーで溶いたココアにリキュールが入ってます」

珈琲にお酒、なんて初めての体験だ。

「いただきます」

思わず手を合わせてつぶやいてしまう。

「いや、お供え物じゃないんやから。ほんまおもろい子やな」

えみさんがこちらを見て笑う。恥ずかしい。初心者丸出しだ。

「ありがたがって下さるのは、うれしいですよ。ナイトも喜んでます」

胸に手を当てて、軽く会釈され、穏やかな声でマスターは言った。お茶目なんだ。

雨脚が一気に強くなり、店内に雨の音が響き渡った。

「好みちゃん、飽きへん?ずーっと雨やろ?」

えみさんが、私に話しかける。わたしは、えみさんの中で、好みちゃん、らしい。

「めっちゃわかります。そう、だから今日、困難な方を選んでみたんです。そしたら、ここに来れました!」

無意識に勢いよく、例の岡本太郎の本を掲げた。

3秒くらいの静寂が流れた。

―やってしまった。

初来店のしがない小娘が、何をでしゃばったんだ。

自分を出せば、何かとややこしくなることを知っているはずなのに。

すると、くすくすと笑い声が聴こえてきた。

ふたりがえらく笑っていた。

「は~。いやたぶん、困難な方を選んでここに来てくれた人は、はじめてですね」

「あ~、ほんまおもろい。涙出るわ。今日来てよかった」

急に照れくさくなって、ナイトをそばに寄せた。

ふたりとも、笑ってくれてる。

朝の陽に当たるように、心がじんわりあたたかくなったのを感じた。

「ひとつ悩みがあるんです。わたし、虹って、なんか好きになれないんです」

自分で驚いた、こんなことを初対面の人に相談してどうするんだ。

「それは、なんでですか?」

マスターがまっすぐな目で聴く。

「いや、なんかこう、キラキラしてるじゃないですか。努力は必ず報われる!ハッピーエンド!元気やる気!みたいな、感じが苦手で」

「まあ、でも、僕たちって、実は毎日虹見てますけどね」

マスターがつぶやく。

「どういうこと?」

私とえみさんの声が重なる。

「虹って、どうやって見えるかしってます?」

「何か、あの、光に雨粒が、反射して?みたいな・・・」

「それは、知らないってことです」

マスターが笑いながら、いう。

「じゃあ、知りません︙」

「虹って、ある条件がそろうと見えるんです」

マスターの目が、急に輝き出す。

「あ~、また始まってもうた」

えみさんがため息をつく。どうやら恒例らしい。

「で、その条件っていうのは、低い位置に太陽が出ていること、空中に水滴があること、自分が太陽に背を向けていること。それも水滴に至っては、約40度の角度にある水滴に太陽の光があたり、屈折して、虹の色が出る。本来は色々な色が混じって、無色になっている光が、屈折によって色を分けて出す。赤や紫など、いわゆる虹の色です。そうやって虹が生まれているんです。水滴がスクリーンになって虹が見える」

マスターが、矢継ぎ早に話す。

「へぇ~。じゃあその角度にある水滴に当たらへんと、光は虹にはなれへんってこと?」

えみさんが聞く。

「考えてみてください。逆に言えば、虹になり得るんですよ。すべての光が。ある角度にいれば、色が見えるってだけで。だから、ちょっと大げさですけどね、毎日僕たちが浴びる太陽の光って、本当は虹なんですよ。無色でも、虹。ちょっと変ですけど、ちょっと楽しくなりません?」

マスターってこんなに話すんだ。驚いた。

でもそれを語る目の輝きは好奇心と希望に溢れていて、私がいうのもなんだが愛おしくなった。

「私、虹は好きになれないけど、無色の何者でもない光たちに思いを馳せることはできるかもしれない。どうか、気を落とさないで。あなたたちもきれいだよって」

いつの間にか、私は話していた。

まるで自分に語りかけるように。

「お客さん、やさしいんですね。ぼくが光なら、うれしいです」

マスターは静かに言った。

そのとき、はじめて気づいた。

私も、みんなも、きっと、何者でもない無色の光だ。

会社近くの喫茶店でナポリタンを無心で食べること、仕事でミスをした時は帰り道の途中で缶ビールを空けてもいいって決めてること、彼氏と急に会いたくなって寝る前の5分だけ電話すること。

そのひとつひとつに、大それた意味なんか無い。煌びやかとは言い難い何の変哲もない時間。でも全ての起こることに、実はあらゆる人の切なる願いが、尽くした思いが、網の目のように絡まり合っている。奇しくも、奇跡は、奇跡として、やってこない。奇跡は、平凡という仮面を被って、私たちをまんまと騙す。

そんな、平凡な奇跡を、本当は愛したかったのかもしれない。

目の前に広がる世界を愛せた時、私は私を肯定できるのだと思った。

とはいえ、平凡だとすぐに勘違いして、欲望ばかりが膨れ上がって物足りず、

有名になりたい、人からちやほやされたいとか、煩悩だらけの自分もいる。

その卑しい自分と、何気ない自分がいる事実。

お互いの存在は知っているが、認め合えず、ずっとずっと、いがみ合っていた気がした。

そんな、不器用なふたりの自分をゆるしてあげたらよかったんや。

そういうことやったんや。

おしぼりを、目に当てる。

ああ、私、とっても苦しかったんやね。

「よくお似合いですね」

マスターがほほ笑む。

店内は、雨の音が変わらず響いていた。

著者さいとうみゆう|プランナー/ライター
広告会社でプランナーとして勤務しながら、ライターとしても活動。「分かり合えないけど分かり合いたい」人間の切なる思いから生まれた、愛おしい【言葉】が大好き。おもいをほぐし、つたえ、むすぶ人です。オリジナル肩書100人チャレンジ中。
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