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ありがとうの気持ちと共に

ありがとうの気持ちと共に

二両編成の電車の扉が開き、そこから巨大なキャリーケースと5月を降ろした時。その場所いっぱいに盛夏のような強い日差しとふわりと海のかおりがして、ああ帰ってきてしまったんだと、落胆したような、それでもどこか安心したような気持ちが波のように押し寄せて、少しだけ泣きそうになった。

5月に、娘の芽衣を連れて、私は故郷に帰る。

「ママ、あっち!うみ!」

「だめだめ芽衣、まずはばぁばの家に行って荷物を置いてから!」

娘の芽衣はもうすぐ5歳になる、英語で5月という意味の芽衣。5月生まれの私の娘だ。芽衣は性格が穏やかでおっとりしていて、その分歩くのも言葉も、洋服を着替えるのも何もかも全部が少しだけ同じ年の子ども達よりも遅かった、それを

「なあ、なんで芽衣ってこんなもったり話すワケ?姉ちゃんとこの子、ホラ莉緒なんかついこの前会ったら早口でペラペラ喋ってたし、絵本だって自分で読んでだぞ、あいつ芽衣と同じ年だろ、なんて言うのかさあ︙真夜はもっとちゃんと芽衣のこと見てやった方がいいんじゃない?」

そう言ったのは夫のナツキだった。でも芽衣は私と貴方の子なのだからそれはおかしい。私は訴えた。

「私だって貴方と一緒にお店で働いてるんだよ、同じ立場のはずでしょ、どうして私だけの責任みたいに言うのよ」

夫のナツキは東京の小さな町で美容室をふたつ経営していて、私はそこの店舗のひとつで雇われ店長兼スタイリストをしている。仕事上は経営者と従業員だけれど、芽衣の両親としてはほとんど同じ立場のはずだ、それなのに

「だって、オマエは母親だろ」

「なにそれ、じゃあ父親は仕事だけしてたら良くて、母親である私は仕事もして家に帰ったら育児も家事も全部して、ナツキが『つきあいだから』って言って朝まで家に帰ってこないのも黙ってニコニコしてろってそういうこと?」

アンタが外で何してるかなんて、私はとっくに全部知ってる。

ナツキは私が最初に勤めた中目黒のヘアサロンで美容師をしていた時の同僚だ。私達が結婚した年にナツキの実家に出資してもらう形で独立して、それが思いのほかうまくいき、芽衣が生まれてすぐに2店舗目を出した。2つのお店はナツキに自由になるお金をたくさん生んで、その頃からナツキは段々と家からも芽衣からも私からもすっかり心がはなれてしまっていた。私はそれをよくわかっていた。

毎日が忙しくて、面倒くさくて、もう何も言いたくなかっただけだ。

「ママ!ばぁばよ!」

「ちょっとぉ!来るなら連絡くらいしなさいよ、泊っていくの?」

私が駅舎の前から進めないまま「一体どんな言い訳をして暫く実家においてもらおう」そんなことを逡巡していたら、何故だか母が先回りするみたいにして駅にやって来て、私と芽衣が突然現れたことに特に驚きもせず、嬉しそうにこっちにむかって手を振っていた。

母は、私にとっていつも謎の生物だった。

私たち母娘は元々東京で暮らしていた。今、母がひとりで喫茶店を営む三浦半島のこの町には元々縁もゆかりもない。

それが私が8歳の、あれも5月のことだ。小学校から帰ると母が真っ赤なトランクと90ℓの登山用のバックパックに荷物をみっちりと詰め込んで玄関で待っていた。

「真夜、今からあたし達、海の見える町に引っ越すよ!」

そう言ったのだった。

母の思考と行動の間にはいつも一切の留保とか躊躇とかいうものが存在しない。当時母は結婚していた。その夫の、すなわち私の父はちょっとした事業をやっていてほんのり裕福だった。私達は東京の港区にある白くて清潔な高層マンションに暮し、外国製の大きな白い車を持ち、年に1回は外国に旅行に行って、私が寝起きしていたのは北欧の家具の置かれたピンクと白の子ども部屋、そういうものが私の8歳までの生活で、私自身はそれをいいとか悪いとかでは無く『そういうものだ』と思っていた。でも母は

「これは私の本当の生活ではないと思う」

ずっとそう思っていたのだそうだ。

だからと言って、突然家出して夫と離婚して生活をまるごと捨てるなんてこと普通するだろうか、でも母はそれをやってしまった。元々世界中のあちこちを旅する生活をしていて、お金が尽きると住み込みのアルバイトをし、お金が貯まるとまた旅に出て、そうやって定職についた経験がないまま結婚し子どもを産んだ母は

「自分がそうだと思えば世界中が家だもの、どうして港区のマンションだけが自分の家だって思わないといけないの、どうしてあんな大きな外車が必要なの、パパの考えは私にはわからない」

父の趣味や生活を理解できないと言った。父は聞けば大体の人の知っている外資系の企業でシステム開発をしていてそこから独立したという人だ。理知的で現実的でそして即物的な人間で、どうしてそんな父が、観念的で感覚的で夢みたいな世界に生きている母と結婚したのかは私には今でも謎、物凄く不思議ではあるのだけれど、ひとつ思い当たるのは母が今も昔もとても美しい人だということ。

父は見た目にわかりやすい価値のあるものが好きな人だった。

母は見えないものに一番価値があると考えている人だった。

そんな2人が合う訳がない。それで自分らしい暮らしを求めてこの町に引っ越して来た母は、小さな借家を見つけてそこに住み、最初はマグロの加工工場で働いていた。港区のマンションから三浦半島の借家で工場勤め、みじめな暮らしが待っているのだろうと思っていたら、母はあまりにも現地の人達の懐に飛び込むのが上手で

「皐月ちゃん、野菜持って行きな」

「皐月ちゃん、マグロの中落ちあるよ、あげるよ!」

「クーラーが壊れた?そんなのウチの息子がスグ直してやる」

そんな風にして町の人々が、まだ若かった母を娘のように可愛がり、気が付くと母はほとんどただ同然で駅前の小さな喫茶店をひとつ手に入れていた。そしてそこは私と母2人を食べさせていける程度に繁盛し、今日に至るのだから、現代のわらしべ長者というか、それこそ母の言う

『自分がそうだと思えば世界中が家だ』

そういうことなのだと思う。自由奔放で天衣無縫、見た目だって女優のように美しくて、傍から見れば母は『素敵な女性』なのかもしれない。でも娘の私からするとそれは明日の見通しの立たない、誰かの善意に頼るだけの暮らしの無計画な人間なのであって

「お母さんってホントにその日暮らしっていうの?子どもがいるのによくそんなことできるよね」

私はそんな生き方、絶対にしない。

18歳の私はそう言って、この海の町を出た。ひとりで東京に戻り美容師になって、普通の結婚をして、普通に子どもを産んで、東京で地に足をつけて生きていくはずだったのに。

私は、またこの海の町に戻ってきてしまった。

海の町の暮らしは毎日が凪の穏やかさだった。

かつては漁業で栄えたこの町も、潮目が変わってしまったのか魚が思うほど水揚げされなくなり、それならと力を入れた観光業も然程振るわず、老人たちがのんびりと港で日向ぼっこをするばかりのさびれた漁村になっていた。でもそこにある母の店はその斜陽の町にあって、朝から朝食を食べに来る老人でいつも賑やかだった。

「真夜、これそこのじいちゃんに出して」

「えっ、何、どれよ?」

「トーストよ、ホラ、トースターの中、見て!」

「この子、真夜ちゃんかい、そしたらそのチビは何だ、娘?」

母は私に一切の事情を聞かずそのまま自宅に招き入れ、朝7時から私をアゴで使った。近所の人々は18歳だった私が32歳になって戻ってきたことに驚き、4歳の芽衣が店の中でウエイトレスの真似事をする姿を喜んだ。

「芽衣ちゃんていうのか、今度じいちゃんの船にのせてやろうか」

「おふねがあるの?」

「そうだぞ、それでじいちゃんは魚を採ってたんだ」

「あしたのせて!めいもおさかなをつる!」

「明日か、オーイ皐月ちゃん、この子って明日借りても構わないのかい」

「いいけど返してよ!」

芽衣は、ここに来てから各段に言葉が増えた。東京のマンションにはいつも私の苛ついた空気があったせいなのか芽衣はとても無口だった。今、窓際の席で老人達の輪に入ってはしゃぐ芽衣はふんわりとした明るい金色の空気を纏っているように見える。

母の店には、朝にはゲートボールの帰りの老人会、昼には日焼けした漁業組合のお兄さん達、夕方には赤本を持った県立高校のふたり。閉店ぎりぎりの時間にはホットケーキを頼む近所のスナックのママとおちびちゃん。そういう人達が入れ代わり立ち代わりやってきた。

「なんか、人生って感じ」

「いいでしょ、気に入ってんのよ」

それは、私が海の町に来て2週間目の午後、店が昼と夕方の間の時間に母がゆっくりと丁寧に淹れたコーヒーを飲みながらぽつりぽつりと、自分がどうしてここに来たのか、それを話した時のことだ。

私の「もう離婚だと思う」という言葉を聞いて、大きなマグカップを両手に抱えた母はふふふと笑って

「わかってたわよ、アンタがいつ言い出すのかなって思ってたけど」

そう言ったのだ。そうして

「いいんじゃない、離婚しても。お金なんてその日食べる分があればたくさん、夕方の前のこの時間にコーヒーを淹れて、明日は雨かもしれないなって、この天気なら今日は夕日が綺麗に見えるなあって考える時間があるのが一番大切なの、芽衣だってそっちの方がきっといい」

夕日のご機嫌が一番大事だなんて、とても母らしい。

「お母さんくらい大らかなら、私ももう少し生きやすい人生だったかもね」

「何言ってんのよ、アンタにもできるわよ、真夜はあたしとおんなじ名前の、あたしの娘だもの」

「お母さんの皐月︙5月と同じ意味の名前なのは芽衣だよ、5月のMAY」

「アンタの真夜ってそれも、スペイン語で5月って意味なのよ、あたしみたいないい女になりなさいって思ってあたしがつけたの」

「なにそれ、凄い自信」

母は、いつもこうだ、全部お見通しで、全部わかっていて、鷹揚で、びっくりするくらい優しい。

「なんか、ありがと」

5月に5月を連れて、5月は故郷に戻る。

きなこ
フリーライター。小さな四歳の女の子と十代の女の子と男の子、三人の子どもを育てながらweb媒体を主体にして家族と子どもとそれを取り巻く世界を中心にしたエッセイと小説をこつこつ書いています。
コーヒーについて
今 “あるもの” に意識を向けてみる。好きな小説を思う存分読める自分だけの時間。天気の良い日に気持ちよく早起きできた休日。離れていても見守ってくれている家族の存在。当たり前に過ぎていく景色や誰かの優しさが、当たり前ではないと気づける時、自然と感謝の気持ちが湧き上がってくるもの。今回のコーヒーは、チョコレートや蜂蜜の優しい甘さと、熟したリンゴのような甘酸っぱさがスッと入ってくる心地よい中煎りのブレンド。丸みのある滑らかな質感と優しい味わいが、今ここにある豊かさを一層引き立ててくれますように。
ものがたり珈琲
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