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新しい世界へ旅立つ前に

新しい世界へ旅立つ前に

就職のため、ひとり上京した。

 明日からはこの慣れない土地で、新たな生活が始まる。

仕事が決まり、大学を卒業し、引っ越しの準備を終えるまでの時間はなんだかあっという間だった。

仲間たちで打ち上げをしたときだって、家族と初めてわかれる前夜だって、あたしの胸のうちにはいつでも希望ばかりが詰まっていた。

新幹線に乗り込んだ瞬間でさえ、光あふれる車窓からの風景に、勝手に祝福されているような気持ちになったものだ。

 けれどいま、無事引っ越しを終え、ひとりきりであらかたの荷を崩し終わった段階で、唐突に我に返ってしまった。

 昨日までは家族の生活音にまみれていた耳の奥が、しんとする。

 昨日までは仲間たちの笑い声で満たされていたこころが、ずんとする。

 ︙︙ひとりきりになってしまった。

 自覚したとたん、孤独と不安に押しつぶされそうになった。

 これまでずっと誰かのそばで生きてきて、仲間たちと支えあうことを常としてきたのに。明日から放り出されるのは、いわば荒野のどまんなかのようなもの。

 このあたしに、新境地なんて耐えられるだろうか?

 改めて想像するとめまいさえしてくる。

 一寸先は闇かもしれないのに、知らない土地まで意気揚々とひとりでやってきてしまった。

 失敗することも、誰かに頼れないこともなにひとつ考えずに、希望だけを連れて。

 ︙︙だめだ。

 やっぱりこわい。

 無性に泣き喚きたくなったそのときだ。 

 一通の手紙が目に飛び込んできた。  

 それは、最初に設置した丸テーブルの上に置いたままにしていた、ある仲間からの手紙だった。

「引っ越しがひと段落ついたら、初出勤より前に開けてみて」と得意げな顔で渡された代物。

 なんの飾り気もない真っ白な封筒は明らかに中が膨らんでいて、紙以外の何かが入っていることは明確だ。

 片付けが終わったらこの手紙を開封するのだと決めて少なからず楽しみにしていたのに、ふたを開けてみれば、この手紙の存在すら疲労で忘れかけていたなんて。

 それだけ、知らぬ間に切羽詰まっていたということなのだろうか。

 あたしは藁にもすがる思いで封筒を手に取った。

 無性にドキドキする。

 不意打ちで、世界にたったひとり、あたしだけのためにしたためられた文章だ。

 めまいなんて一瞬で消えてしまった。

『新しい世界へ旅立つ前のきみへ。

こわいかい?

でもだいじょうぶ。

まずはいつものようにコーヒーを飲みたまえ。

そうすれば、おのずと見えてくるよ。

さあ、円卓について深呼吸からだ。』

 相変わらず妙に気取って芝居がかった言葉が少しだけ。

 そしてメモ用紙に殴り書きしたような文章とともに同封されていたのは、ひとパックのドリップコーヒーだった。

「円卓でコーヒーか︙︙」

 ぼそりとつぶやいたとたん、脳裏にはサークルでの記憶が鮮明によみがえってきた。

 最後の年は早めに引退してしまったから、実際に活動できたのは三年間と少しくらいだ。けれど、いま振り返ると十年も二十年もずっと仲間たちといたような気持ちになるから不思議だ。

 それくらい、人生のなかでも特別濃厚な時間を過ごしたということなのだろう。

 あのころあたしたちが熱中していたのは、芝居づくりだ。

 学内にいくつかある演劇サークルのなかでも、うちはとりわけディスカッションを重んじていた。

 入部する際、当時のサークル長は言った。

「きみたち、『円卓の騎士』って知ってる?

 アーサー王伝説の中の話なんだけどさ。彼に仕える騎士たちは、まるいテーブルを囲んで座ったんだって。もちろんアーサー王も一緒にね。つまり、どこが偉い席とか格下かとかなんにもなくなっちゃうわけ。

 おれたちはそういう対等な仲間関係をつくりたいんだ。

 遠慮しないで意見を言ってほしい。いまあるメンバーでできうる最高のものをつくりたいから」

 あとから知ったけれど、それはサークル発足当初から代々受け継がれてきている理念のようなものだった。そうしてもちろん、あたしたちの代も丁寧に受け継ぎ、次の世代にバトンを渡して去った。

 いまでもあの部室では、相も変わらず同じような光景が繰り広げられていることだろう。

 そんなあたしたちの関係は、さながらRPGのパーティーのようだったと思う。

 頭の回転がはやく、それでいて仰々しい喋りかたを好む我らがサークル長は、「賢者」。

誰もが無理だとあきらめかけたとき、必ず鼓舞して先陣を切ってくれる「勇者」もいたし、難しい小道具を本物そっくりに仕上げてしまう「黒魔導士」も、ヒートアップしすぎて暴走しそうな瞬間に引き戻してくれる「白魔導士」もいた。

アドリブの人一倍うまい「道化師」も、殺陣の達人「戦士」も。

ダンスの心得があり振付も担当していたあたしは、さしずめ「踊り子」といったところだろうか。

 それぞれがそれぞれの持ち味を生かし、互いに信頼しあい、支えあって切磋琢磨する日々。

 そして、新しい旅のはじまり、つまり次の演目にとりかかる前には、必ずコーヒーを囲んだミーティングがあった。合図となる「賢者」の言葉は、いつでも同じ。

「僕たちは円卓の騎士。誰でも平等だ。なんでも言い合おう。最初の一歩をせーので、ここから始めるんだ」

 気取った調子でそう言いながらも、実際はいつでも彼が率先してコーヒーを準備していた。偉そうな口調のくせにこまねずみのように働く彼の姿に苦笑しながら、仲間たちはわらわらと手伝って、「円卓」という名を冠した長机に頭を寄せ合って座るのだった。

 楽しかった。

 最高に楽しかったのだ。

 けれど、いまはその誰もいない。

「賢者」が贈ってくれたコーヒーを、いまだ見慣れない部屋を眺めながら丁寧にドリップした。

 疲労と不安が充満した空間に、香ばしい香りがじわじわと広がっていく。

 時折目をつぶると、香りに引き寄せられるようにして、円卓会議での仲間たちの様子が次から次へとよみがえってきた。

 誰もが熱意をもって夢をみていたあの頃は、そう遠くない過去のはずなのに。

 それでももう二度と、この手には戻らないのだ。

 目をあけて、やはり誰もいない孤独を再認識してから、淹れたてのコーヒーとともに小さな丸テーブルの前に腰をおろした。

いま、この「円卓」にはあたしひとりきりだ。

「賢者」の教えどおり深呼吸をひとつしてから、コーヒーを口に運んだ。

「︙︙おいしい」

 月並みな感想が思わずこぼれる。

 もともと紅茶かコーヒーかと言われたら迷わずコーヒーと答えるくらいのコーヒー党ではあったけれど、大学時代の円卓会議を経て、コーヒーの地位はあたしのなかで最上級にまで到達した。

 想い出の至るところに出没するおかげで、香りが鼻をかすめただけで幸せな気持ちを連れてきてくれるようになったから。

 引っ越しを終えて、最初に取り出すのはコーヒーミル。そう決めていたはずだったことをいまになって思いだす。

 あたしは段取りが悪いのだ。

 今日はまだ調理をしないからと、キッチンの段ボールは手付かずのままだった。いまだって、お湯を沸かすためにようやく電子ケトルをひっぱり出してきた始末。

 だってこれまで、段取りは「賢者」やほかの誰かがしてくれるものだったから。家では家族が助けてくれたから。

 ああ。

 やはりあたしは、ひとりきりになってしまった。

 コーヒーカップを置くと、しんとした部屋にことん、という音が妙に響いた。

 ふと、テーブルの上に開いて置いたままの手紙の文面が、なにかを促すようにあたしを見つめ返しているような気がして。

「いつものようにコーヒーを飲みたまえ。そうすれば、おのずと見えてくるよ」

 一節、声にだして読みあげてみた。

正直なところ言葉足らずで、詳細な解説がほしいと感じた「賢者」の手紙。

いまこうして役者らしく台詞としてかみ砕いて音に出すことでようやく、塞がっていた思考に風穴があいた。

わからなかった言葉の示す先が、唐突にひらめいたのだ。

 舌に残るしたたかで華やかな味わいが、それでいいよと頼もしく後押しをしてくれるようだ。

 あの大切な日々と同じように。

あたしはひとりだけれど、ひとりじゃない。

なぜならあたしは「円卓の騎士」。仲間は身体の距離が離れたくらいでは消えない。ひとりで思い悩む必要はない。遠慮はいらない。

心はつながったままだし、現にこうして支えられているじゃないか。

いつだって最高の舞台をつくろうと向き合ってきた、青春をともに過ごした仲間たちだ。これから向かう先が違ったって、なにを遠慮する必要があるだろう。

苦しくなったら、いつだって頼っていいのだ。これまでそうしてきたように。

ときに言い争いになりながらも、認め合ってきたのだから。

 ︙︙そうだ。

 喧嘩なんて数えきれないくらいした。

 いまでこそ最高の仲間たちだと胸を張れるけれど、最初から息のあったパーティーだったわけじゃない。

 そもそもディスカッションが苦手な子だっていた。あたしもそのうちのひとりだった。意見を求められても、最初は曖昧に笑うことだけで精いっぱいで。

けれども、誰もが少しずつ違和感を抱え、それでも誰ひとりあきらめなかった結果として、すべてが一様にきらめくような想い出になったのだ。

大学に入る前は住む地域もバラバラで、ひとりも同じ道のりを辿ってきた子はいなくて、知り合いはまったくいなくて。無関係な者どうしだったのに、あの場で奇跡的に出会って、ともにたくさん旅に出たから、だから仲間として認め合えたのだ。

あたしたちが初めてそろって会ったあの日、最初の言葉はなんだった?

初めてコーヒーとともに「円卓」を囲んだあの日だ。

久しぶり。

元気だった? 

また会えたね。

そんな言葉、誰からも出なかったはずだ。

名前と所属を告げて、期待と不安に押しつぶされそうになりながら、緊張に震える声で最後にひとこと。

「よろしくお願いします!」

 誰もがその台詞を口にした。

 そしてそれ以前は、みんな赤の他人だったのだ。

 物語には必ずはじまりがある。

 今日はいわば、プロローグの一日なのだ。

 これから初めて出会うひとたちのなかに、あたしの新しい旅の仲間となるべく存在がきっといる。だから少しも怖がることなどなかったのだ。

どんな勇者だって、はじまりの朝だけは、等しくひとりきりなのだから。

 コーヒーを飲み終えてから、あたしは「賢者」に電話をかけた。「ありがとう」を言うために。

著者にじいろたまご
広島県在住のシナリオライター。直近のお仕事は、声優朗読コンテンツ『あいみんと過ごすおやすみ時間(タイム)』内『食べたら、すぐ帰んな?』のあてがきシナリオなど。るくみる名義にて電子書籍作家としても活動中。執筆のおともはいつもコーヒー。
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