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春風がわたしの足を運ぶ朝に

春風がわたしの足を運ぶ朝に

「あっつ︙︙」

二週間ぶりに陽が出ているうちに外に出た。

ここ最近、外出は夜にコンビニに行くだけだったから。買い溜めていた食料が尽きたから、一時間のお昼休憩で買いに行かなくては。

家から数分の所にあるコンビニへ行くだけなのに、もう脇の所にじわっと汗をかいている。

外の気温が分からなくて、手近にあったコートを羽織って外に出たけれど、もう冬はとっくに終わっていたようだ。

道路の脇の桜の木はもう満開で、温かな日差しがじんわりと私を焼こうとしてくる。

マスクから少しだけ鼻を出し、お腹いっぱいに空気を吸い込んでみたけれど、全然気分はすっきりしない。

「うえっ︙︙」

むしろ、ポカポカしたこの気温に腹が立ってきたくらいだ。

毎年春になると、どこかワクワクしていたはずなのに。今年は全く心が躍らなかった。というよりも、どこか心が行方不明になっている感じがする。

新型コロナウイルスの影響で、『いつも』と違う春というのもあるかもしれないけれど。

ちょうど一年前、新しい出会いや希望に胸を膨らませて社会人になった。初めての土地で、初めての一人暮らし。初めて尽くしでドキドキしていたけれど、そのドキドキの半分以上はワクワクだった。

だけど、せっかく頑張って就職活動をして入った会社にもほとんど出社できなかった。最初はずっと家に居られるリモートワークを喜んでいたが、それも三カ月くらいで飽きた。毎日与えられた仕事をこなし、ぼーっと毎日を生きていたら、やる気に満ち溢れていた同期の子たちは何人も消えていた。

オンラインの研修でしか顔を合わせたことがなかったけれど、入社前に仲良くなって夢や希望を語り合った仲間だったから寂しかった。自分のことにいっぱいいっぱいで、その子たちがどうして辞めてしまったのかその時は分からなかったけれど、今なら少しだけ分かる気がする。

最近、少しずつ仕事に慣れてきて、忙殺されていた毎日に時間が出来てしまったことで、私の中にもどこで眠っていたのかも分からない虚無感がふつふつと湧いてきた。

様変わりしてしまった日常の中で「このままでいいのだろうか」という漠然とした不安。

今までだったら、絶対に感じなかったであろう感情。

彼らは一体何を見つけ、どこにいったのだろうか。

***

コンビニに着くと、すぐにパンコーナーに向かった。早く買って家に戻らないと、午後のウェブ会議が始まってしまう。特に食べたいものもなかったので、メロンパンと温かい缶珈琲を手に取りレジに向かうと、じっとこちらを見ている店員と目が合った。

なんだか見覚えがある気がするなぁと思っていると、先に口を開いたのは向こうだった。

「もしかして︙︙結衣ちゃん?」

「うん、そうだけど︙︙もしかして、香澄ちゃん︙︙?」

「そうそう! ああ! やっぱりな! ウェブでは何度も会ったけど直接は初めてやんね!?」

レジの店員は同期の香澄ちゃんだった。研修でも何回か同じ班になり、仲良くしていた子だ。初めて対面で会えたことが嬉しくて、自然と頬が緩んだけれど、コンビニで働いているということは︙︙。

「香澄ちゃんも会社、辞めてたんだ」

私がそう言うと香澄ちゃんは、少し気まずそうな顔をして「うん」と言った。

「会社、どうなん? 楽しい?」

 香澄ちゃんのその質問に、私はすぐに頷くことが出来なかった。その私の反応から何かを悟ったのか、香澄ちゃんはすぐに次の言葉を繋げた。

「ねね! もう少しでバイト終わるから少しお喋りせーへん?」

「今から会議が入ってて︙︙」

「あー、そうやんね、ごめん! お仕事頑張ってな!」

私は香澄ちゃんから商品を受け取り、エコバックに詰めていく。

終わりのない一人ぼっちの毎日をぼーっと過ごすことには飽き飽きしているものの、行先を見つけ出すこともできずにいた。香澄ちゃんと話したら、何か答えが見つかるかもしれない。

「十九時に仕事終わるんだけど、そのあととかって時間ある?」

「ごめんな、予定入ってて︙︙。朝って十時出社やったよね? バイトが十一時からやからそれまでなら時間ある!」

「私も朝なら時間あるよ!」

「じゃあ、明日の八時半にコンビニの前で待ち合わせしーひん? この近くにすっごい桜が綺麗に咲いてる公園があんねんけど。散歩しよーや!」

「うん、いいよ! じゃあ、また明日」

「また明日」

 そう約束して私たちはそれぞれ自分たちの仕事に戻った。

***

午後の仕事は全く身が入らなかった。会社を辞めた香澄ちゃんの清々しい顔が脳裏から離れなくて。入社当初はあんなにこの会社に入れたことを喜んでいたのに。

あー、何もしたくない。働きたくもないし、未来のことも考えたくない。何もしたくないけど何かしたい。何かしないといけないけれど何もしたくない。そんな感情の二律背反と長時間椅子に座っていたのとで身体のあちこちが痛む。

気が付くともう時計の針は十九時を指していた。パソコンの電源は今日も定時に落とせない。冷めきった缶珈琲に口を付け、しょぼしょぼしてきた目を擦る。

「もうひと頑張りするか︙︙」

カチッと心のヤカンを火にかける。ずっと心の下の方は熱されていて、ピーっと音を鳴らしている。だけど、沸騰したものをどうすることもできなくて、火を止めて、放置。

そしてまた冷めてしまったやる気とかそこらへんにバラまかれていた感情をぐっと詰め込んで、心のヤカンを火にかける。

それの繰り返しだ。

いつしかヤカンの中に入っていた感情とかいろんなものは蒸発してしまって、空っぽになりかけたヤカンをいつまでも火にかけている感じ。

もうヤカンの中に何かを入れる気もなくなってきた。だけど、周りがうるさいから、火にはかけないといけない。やってますよーって、ピーって音が鳴るたびに周りにアピールするために。

頑張っているフリだけを続ける。頑張っているフリだけは続ける。そうじゃないと、もう何も頑張れないような気になってしまいそうで。

 いくら「頑張らなくてもいいよ」って、「頑張りすぎないで」って周りから言われても、私にとってはそれがどうしても無責任な発言に聞こえた。だって、私が頑張っても頑張らなくてもその人たちの人生には全く関係ないし、頑張らなくなった私の面倒を見てくれるわけでもないのだから。

最初は前に進むために、上に上がるために頑張っていたけれど、今はこの現状を維持するために必死に感情を沸かし続けている感じがする。もう自分がその感情のお湯で入れたかったものが、緑茶なのか、珈琲なのか、紅茶なのかも分からなくて。お湯を沸かすことは目的を達成するための手段だったはずなのに、いつの間にかそれが目的になってしまっているような。

こんなはずじゃなかったのにと思ったところで、現実は今この瞬間の一つしかない。

パソコンの電源を落とせたのは、二十二時過ぎだった。夕ご飯を準備する気も、コンビニに行く元気もなくて、携帯の目覚ましを八時にセットして布団に入った。いつもより三時間早い就寝時間、いつもより一時間早い起床予定時間。

***

 久しぶりの八時起きに不安を感じていたけれど、案外すっきりと起きることが出来た。楽な格好に着替えて、下駄箱の奥の方にしまっていた運動靴を取り出して足を入れる。コンビニに行くときはいつもサンダルだったから、久しぶりに履いた運動靴のきゅっとした締まりに心も少しだけ引き締まった。

 コンビニに着くと、もう香澄ちゃんは私を待っていた。笑顔で手を振ってきたので、私も振り返す。

「おはよ~! それじゃあお散歩出発や~!」 

私たちは、公園に着くまでノンストップで話し続けた。お互い対面で人と話す機会が減っていて寂しかったこと、大学時代のこと、研修でのこと︙︙。

二十分くらい歩くと、大きな公園に着いた。桜は満開に咲いていて、公園内を散歩している人もちらほらいる。

「家の近くにこんな公園があったんだ︙︙。知らなかったや」

「一人で悶々としてるときって、家の中に居ても気分が落ち込んでくだけやから、ひたすら歩いてたんよね。そしたら見つけたの」

「歩いたら、気分は晴れた?」

「そんなすぐには晴れへんかったけど、家の中にいるよりは全然よかったで」

 私たちは公園の端っこのベンチに腰を下ろした。さっきまでずっと話していたのに、いざ香澄ちゃんに何か聞こうと思うとうまく言葉が出てこなかった。

「せやせや! 結衣ちゃん珈琲好きって言ってたよな?」

「うん。好きだよ」

「自己紹介の時言ってたなって思い出してん! じゃーん!」

そう言うと香澄ちゃんは手に持っていた鞄からオレンジ色のポットを取り出し、紙コップにその中身を入れて私に差し出した。

「はい! これ、めっちゃ美味しいんよ! 飲んでみ」

コップを受け取り一口飲んでみると、口の中に爽やかな珈琲の味が広がった。珈琲の温かさと、一年前の、それもたった数分の自己紹介で言った好きなものを覚えてくれていたことが嬉しくて、じんわりと心の芯からポカポカしてくる。

「美味しい︙︙」

「せやろ、せやろ! 私も珈琲好きやねん! 家で飲むのも最高やねんけど、やっぱこうやって外で飲むのが一番おいしいんよね~。それに今日は一人じゃなくて、結衣ちゃんも一緒やから美味しさも倍増や!」

「よく外で珈琲を飲んでるの?」

「なんか落ち込んだ時とかはあったかい珈琲をポットに入れて、お日様に当たって散歩することにしてんねん。それで気分が晴れないとき

もあるけど︙︙外で飲む珈琲は私を幸せにしてくれるから」

「幸せ、か︙︙。香澄ちゃんは会社辞めて、幸せ?」

「うん、それなりに幸せやで。外にも出られへんし、この状況がいつまで続くかもわからへんやん? それなら、自分のやりたいことをやってみようかなって思えたんよ」

「いいなぁ、やりたいことがあって」

香澄ちゃんの右手にはペンだこが出来ていた。それが彼女のやりたいことと直接関係があるのかは分からないけれど、その表情からは充実した毎日を送ってることが伝わってきた。

「出来ひんことや出来なくなってしまったことはたくさんあるけど、きっと、たぶん、探せば今しか出来ひんこととか、今だから出来ることってのもあると思うんよね」

香澄ちゃんのその言葉が私の心に染みた。そうだ、私はできなくなったこと、変わってしまったことにばかり目を向けていた。自分から内に籠り、一歩を踏み出すこともせず、この状況だけを嘆いていた。置かれた状況は、みんな同じなのに。

珈琲を飲み終えると、香澄ちゃんはベンチを立った。ポケットの中の携帯で時計を確認すると、そろそろ帰らないといけない時間になっていた。

「結衣ちゃん、何か悩んでるんやろ? 別に話さんでもええけど、こうやってまた朝から一緒に散歩せーへん?」

「いいの︙︙?」

「もちろんや! 私もひとりで寂しかったから」

優しい春風が私たちを包み込み、桜の花びらがひらひらと頭上を舞う。

香澄ちゃんがなんで会社を辞めたのか、やりたいことはなんだったのか、それはまた次の散歩で聞こう。焦ることはない、またいつでも会えるのだから。

「お互い大変やけど、疲れへん程度にぼちぼち頑張ろ~な」

香澄ちゃんはそう言って、ニヘっと笑った。自然と私の頬も緩み、同じような笑顔を返す。

「うん、そうだね。頑張ろう」

全然嫌な感じのしない、香澄ちゃんからの「頑張ろう」を受け取って、自分の口からサラッと出てきた「頑張ろう」に驚く。

他愛もない会話をしながらコンビニまで一緒に戻ってくると、私たちは連絡先を交換し「またね」と手を振って別れた。次に会う時までに、私も少しだけ、新しい自分になれてたらいいなと思いながら。

現状を変えるための一歩を踏み出すことは簡単なことではないけれど、まずは足踏みから始めて見ようかな。

とりあえず、家に帰ったらお湯を沸かそう。温かい珈琲を飲むために。

桜野 佑乃
「書きたいものを書きたい時に書きたいだけ」をモットーに活動している自由な物書き。第十一回星の砂文学賞高校生部門にて優勝賞を受賞し、本格的に執筆活動を始める。現在は小説以外にもチャットノベルやドラマの脚本、ゲームシナリオなど幅広く執筆活動を行なっている。素敵な物書きになる為に日々修行中。
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