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ほっと一息つきたい静かな夜に

ほっと一息つきたい静かな夜に

「ねえ、今度のお盆は帰ってこないの?折角お兄ちゃんがお盆は休めるからって、理沙ちゃんと来てくれるのよ」

ここ三日程の間に何度もあった母からの着信がこれでもう五度目、これ以上無視するのはどうかなと思った僕は時計を見た。

22時30分

多分寝る前に電話をしてきたのだろう母からの電話を取り、そして少しだけ後悔した。

「あのさ、世間はお盆でも、その︙俺みたいな仕事の人間はそういうの、あんまり関係ないんだよ。今ちょっと忙しくてさ、うん、次は帰るよ」

折角今年の夏は兄の妻である人も来てくれるのだからと言う母の懇願に近い誘いを出来るだけ柔らかく断って、僕は電話を切った。

別に兄に会いたくない訳じゃない、僕より三つ年上の兄は昔から面倒見の良い、とても優しい人だ、喧嘩なんか一度もした事がない。

でもそれは多分僕がちょっとした病気を持って生まれた小さくて細くて虚弱な弟だったからだと思う。兄は僕と兄弟喧嘩をするどころか、小学生の頃から僕の体を気にして家でも学校でも僕の背後に親のように張り付いていたし、ちょっと出先で体調が悪くなると僕を担いで家に帰った。そしてその優しさが行き過ぎて医学部に行き、今は麻酔科医をしている。

問題は父だ。

父も兄と同じ医者をしている。大学病院勤めの小児科医だ。そして何の因果か僕の持っている病気の専門医で、僕が子どもの頃にずっとお世話になっていた神奈川県の県立こども病院で週に二回、外来診療を担当していた。

だから父は僕の父で、同時に僕の主治医だった。

「ねえ、今日もお父さんの診察なの?」

「そうよ。お父さんがアンタの先生なんだから」

「お父さん、怖いんだよ。採血でも検査でも、僕がちょっと動くと『動くな!』って僕に怒鳴るんだ」

「それは、変な場所に針が刺さったら危ないからでしょう?ホラ早く靴下履いて」

僕が子どもの頃、特に小学生の頃の父は自宅には殆ど居ないし、居ても大体は寝ていて親子らしい会話をする時間なんか殆ど無い、病院に行った時だけ向かい合って言葉を交わす機会がある、そういう存在だった。

病院の診察室で顔を合わせる父は、父と言うよりは主治医の藤原先生だった。藤原先生は診察室で僕の体調を訪ね、僕の肌や爪や唇の色じっと目視して、聴診器で体の中の音を注意深く聞く。その時、僕らはあくまで主治医と患児で、そこに親子らしい会話は一切存在しなかった。

だから、小学二年生の夏休みのある日、小児外来に行った僕と、この日は一緒に病院に来ていた兄に

「お父さんな、今日はこれで外来は終わりなんだ。今から一緒に外に出て何か冷たいモンでも食うか」

父がそう言った時、突然の事に驚いた僕は直ぐに返事が出来ず、傍にいた兄の後ろに隠れてしまった。僕はこの頃、何かあるとすぐに兄の背後に隠れるのがすっかり癖になっていた。

「なんだ、イヤならいいぞ、お兄ちゃんはどうする?」

「行く!行こうよ直樹、お父さん俺かき氷がいい、直樹は?」

「︙なんでもいい」

「じゃあ、外出てすぐのところに喫茶店があったろ、そこ行こう」

そう言って、母から僕ら二人を預かるような形で病院のすぐ近くの古い喫茶店に入り、僕が兄の隣で、そして僕ら兄弟に向かい合うような形で父が座った時、僕はすぐ横で楽しそうにメニューを眺めている兄とは対照的にとても緊張していた。

「智樹はかき氷か、直樹はどうするんだ、なんでもいいぞ」

大体お前は体重が軽すぎる、チョコレートパフェでもプリンでもなんでもいいからカロリーのあるもの食って体重を増やせ。そう言って僕に母が普段僕に食べさせてくれない甘い物を勧めてくる父は、言っている事自体は診察室の中の主治医の藤原先生なのに、表情がいつもの先生とは少し違っていて僕は余計緊張して、父の言う通り

「じゃあチョコレートパフェでいい」

と言うと僕の言葉に続けて、この状況にひとつも緊張なんかしていない兄が口を挟んだ。

「お父さん、今度の模試で俺が塾の中で上位十番以内に入ったら新しいゲーム買ってくれる?」

「何?お母さんがいいって言うならお父さんは別にいいぞ。智樹は十番以内に入れそうなのか」

「たぶんね」

父は昔から頭が良くて、この頃は中学入試の為に地元の学習塾に通い、そこで常に上位成績をキープしていた快活な性格の兄がお気に入りだった。この日も兄は塾のテストの成績だとか水泳教室の事なんかを楽しそうに話し、僕はその隣で黙ってチョコレートパフェの生クリームをスプーンですくっていた。

「直樹は」

「えっ」

「直樹は夏休みどうしてるんだ」

父が僕に突然話を振って来て驚いた僕は、チョコレートパフェの生クリームの山頂に飾られていたサクランボを取り落としてしまった。僕はこの頃まだ普段の生活に色々と制限があって、本当は兄と一緒に夏から通う筈だった水泳教室も夏休みの直前にキャンセルしていた。父が、主治医の藤原先生がそうしなさいと言ったからだ。それでとても退屈な夏休みを過ごしていた。

「︙絵を描いてる」

「絵?」

「お父さん、直樹は凄い絵が上手なんだよ、だから将来は漫画家とか絵を描く仕事の人になるんだよな?」

「ウン」

僕は藤原先生からきつく言い渡されていた運動制限のせいで、外で走り回る事ができない代わりに家では絵ばかり描いていて将来は絵を描いて暮らすのだと兄に言っていた。でも父は

「そうか、絵を描くのはいいがそれを仕事にとなるとちょっとな。直樹、お前は将来、できたら休みの取りやすい、お前の体の事を理解してくれる職場を選びなさい、公務員とか」

無邪気に将来の夢を語る子どもに向ってそんな事を言い出すあたりが父の不器用な所だ。当然僕は反発した

「どうして、絵を仕事にしちゃいけないの」

「お前は体が弱い。今お前達が言った『絵の仕事』っていうのは自由業って事だろう、それは直樹には色々難しいと思う」

福利厚生、社会保障、その他もろもろの制度が整わない自由業は成人以後も体に無理が利かず、定期的に病院に通い、生涯服薬を続けないといけない僕には不向きだと父は言いたかったのだと思う。でも当時八歳の僕にはそんなことは分からない。そして父も流石にそれ以上の事は小さな子どもに説明できなかったのだろう、話題を変えてしまった。

とても暑い八月の午後、父は僕の目の前で熱いコーヒーを飲んでいた。ここの店のヤツが一番旨いんだ。父はそう言ってクリームだらけの僕の口元を自分のハンカチで拭いてくれた。

僕と父はそれ以降、度々絵の事でぶつかる事になる。絵画教室に通いたいと言った時、美大を受験したいと言った時、そして何より今から三年前、僕が勤めていたデザイン会社を退職してフリーのイラストレーターになったと報告した時。

その時の父の剣幕は大変なものだった。

「美大に行くとか言い出した時も一体何を考えるんだと思ったが、そんな漫画みたいな絵で飯が食える訳がないだろう、馬鹿かお前は」

「いくらアンタが医者で俺の父親だからって、俺は今年でもう二十七になるんだぞ、干渉するのもいい加減にしろよ」

母から僕が会社を辞めたと聞いた父は、勤務中にわざわざ電話をかけて来て僕を怒鳴りつけた。そして僕もまたその父にこれまでの鬱積した気持ちをぶつけるようにして怒鳴り返した。別に好き好んで病気で生まれたんじゃない、もう子ども扱いするのはやめてくれよ。。

父も父だが、僕も酷い事を言ったと思う。それで父とはこの三年殆ど口をきいていない。去年、兄の結婚式の時にほんの少し顔を見ただけだ。

それで兄が母同様僕らの不仲をとても気にしていて、だから今回忙しい中やっと取れた夏休みにわざわざ実家に行き、自分が来ているから直樹を呼んだらどうかと提案して義姉もそれに賛成してくれたのだと思う。

悪い事したかな。

僕はそう思ったけれど、お盆休みの期間に大きな仕事が入っていて、忙しいのは嘘じゃない。僕はこの夏、病院の小児外来の壁一面に巨大なイラストを描くという仕事を受けていた。それはこの春、中目黒の小さなギャラリーで個展をやった時、僕の仕事用のメールアドレスに来た一通のメールがきっかけだった。

フジワラナオキ 様

突然のメールを失礼いたします。

神奈川県立こども病院・総合診療科看護師長の田中と申します。

フジワラナオキさんは、今から二十年程前に、私どもの病院に入院していらした藤原直樹君でお間違いないでしょうか。そして当時担当看護師の一人だった田中真美子を覚えていらっしゃいますか。

そのメールは、僕が昔入院していた病院で僕を担当していた看護師からのもので、今は総合診療科という所の師長になった彼女が、僕の個展にたまたま立ち寄り、僕の絵を見てそれを気に入ってくれて、この夏に壁の塗り直しをする小児外来の壁を僕のイラストで飾って欲しいという仕事の依頼だった。

既に施設課にも話を通しているという正式なこの仕事の依頼を僕は快諾した。そしてその後少し後悔した。作業期間がお盆で外来が止まっている四日間しかない。小児外来の壁部分、そこに直接建築用塗料で絵を描く、しかも壁の塗り替え作業と同時並行で進める大仕事。

普段はパソコンの画面を相手に仕事をしている僕には慣れない事ばかりだ。それに実際の所、僕は普通の成人男性に比べて体力が無い、無理の利かない僕の体は大丈夫か。でも折角受けた仕事だ。

最悪倒れたら、そこは病院だし。

僕はそんなやけくそな気持ちで四日間、流石に途中は家には帰ったものの、睡眠時間と食事時間を削ってその仕事をやり遂げた。完成の日の夜、あの八歳の夏に父と兄と行った喫茶店のコーヒーを田中さんが差し入れてくれて、二人で壁の前で乾杯をした。

病気を持って生まれた子どもは、生まれてから命の危ない状態を抜ける時期まで海や山や動物園や遊園地、そういう所になかなか行くことが出来ない、行くのは病院ばかりだ。僕もそうだった。だから病気の子どもにとっての夢の場所、そういうものを全部詰め込んだパステルカラーの賑やかなイラストを僕はそこに描いた。

それはお盆明け、子ども達の歓声で迎えられたそうだ。

「子ども達、凄く喜んでますよ」

夏の終わり、田中さんから連絡を貰った僕はとても嬉しかった。そしてこの事を兄にだけメールに画像を添付して知らせた。実はこんな仕事をしていたんだ、お盆に行けなくてごめん。

『すごいな、俺、今度嫁さんと見に行ってくる』

兄からからはそんな言葉が即、返信されてきた。

そうしたら今日、母から荷物が届いた。定期的に送られてくるそれの中身は大体この辺でも売っているようなものばかりだ。野菜と果物とちょっとした保存食品。あと何故だかあの夏の日に父と兄と一緒に行った喫茶店のコーヒー豆が入っていた。

僕はその荷物を眺めながら、荷物の礼とそれから仕事が一段落したのだから、お盆に帰省しなかったことを一言詫びておこう、そう思って僕にしては珍しく実家の固定電話に電話をした。どうしてだろう、母の携帯にメールをしたってよかったのに。

「もしもし」

父だった。

「えっと︙あの、直樹だけどお母さんは?」

「お母さんか、今、風呂だ」

意外に普通に電話に出た父に驚きながら、それならまたかける、そう言おうとした僕に父が突然こんな事を言った。

「お前の仕事見たぞ、県立こども病院のあれ」

「お前はああいう仕事をしてるんだな。子ども達が俺の顔なんか見るよりずっと喜んでたぞ、俺は泣かれちゃうんだよ、普段子ども達を笑顔に出来る事なんかまずないんだ」

僕は何も知らなかったけれど、父はこの秋からまた県立こども病院の外来診療を頼まれ、週一回、あの小児外来に通っているのだそうだ、そこで僕の絵を見たのだと言う。

「あの時、あんな風に言って悪かった」

突然そんなことを言い出した父に僕は何と答えていいのか分からず、その後も一体何を話したのか全然よく覚えていない。ただ荷物に入っていたコーヒーは父が僕にあの喫茶店で買ってきたんだと、それだけは聞き取れたし覚えている。

「体には気をつけなさい」

そう言われて電話を切った後、僕は父が僕に送ってくれたコーヒーを開封してそれを一杯分ドリップしてみた。二十一時、小さなワンルームマンションに柔らかく香るコーヒーの香りは思いのほか優しくて、僕から何故か

「なんだよ」

そんな言葉が口から零れ出ていた。不思議だ、僕は何故だか少しだけ微笑んでいた。

近いうち実家に帰ろう。僕も父に謝らないと。

小さな部屋の小さな夜、コーヒーの香りだけが僕の気持ちを優しく、でも雄弁に語っていた。

著者 きなこ
フリーライター。主に家族と親子、そして食べる事についてのコラムを手掛け、毎日深夜から明け方にかけて小説やエッセイをこつこつ書いています。
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