タップで読む

思い出の温もりと共に

思い出の温もりと共に

 仕事納めの年の瀬、雪の降る夜のこと。俺はマフラーに顔をうずめながら、ぼんやりと光る外灯を頼りに家路を辿っていた。辺りの民家はすっかり雪化粧に覆われている。ニュースによれば記録的な寒波が到来しているそうで、年末年始はインフラが止まる可能性が高いとか。「実家に帰省する予定だったのに」と職場の同僚たちがぼやいていたのをなんとなく思い出す。なんにせよ、どこにも帰る予定が無い俺には関係のないことだった。

真っ白になった家に到着する。玄関外で雪を払い落として、ポストから夕刊の新聞を取る。とりとめのない記事に目を走らせていると、チラシの隙間から何かがはらりと落ちた。

「手紙?」

拾い上げると、可愛らしいデザインが施された手紙だとわかる。「この時代に珍しい」と思うも、「俺に手紙を送ってくるような知り合いはいない」ということにも気が付く。配達員が間違えたのかと確認してみるも、宛名には俺の住所と名前がちゃんと書かれてあった。宛先はここで合っているらしい。

「じゃあ誰が︙」

ぱっと送り主の名前に目をやり、俺は息を呑んだ。そこにはかつての親友の名前が記されていた。

俺には欠かせないルーティンがある。夕食を終えると、俺はケトルに水を注いで石油ストーブの上に置いた。キャニスターからコーヒー豆を取り出してミルにかける。ドリッパーとカップをサイドテーブルに用意したら、新聞を片手にロッキングチェアに腰掛ける。そうしてお湯が沸くまでひたすらに新聞を眺める。静かに揺れる椅子とストーブの熱が冷えた足元に心地よく、休日は半日以上こうして過ごしている。独身貴族のささやかな楽しみである。

しかし、今夜は違った。俺は新聞を放って立ち上がると、ラックに掛けたコートのポケットを探る。メモ帳やら財布やらをどけて、件の手紙を引っ張り出した。小学生が好みそうなポップな柄の手紙。送り主はやはり親友で間違いなかった。

「なんだって急に︙」

別段、親友との間に諍いがあったわけではない。しかし、数年も顔を合わせていなければ、連絡一つ取ることもしていない。だというのに、今になって唐突に手紙が来た。そもそも手紙を送るようなやつだっただろうか。あれこれと思索を巡らせつつ、俺はきらきらしたシールを剥がす。中からは数枚の便箋と写真が出てきた。

 便箋に軽く目を通すと、ありきたりな近況報告がつらつらと綴ってあった。数年前に式を挙げて結婚したこと。今年で五歳になる娘がいること。俺の家の住所は親から教えてもらったこと。今やっている仕事や、やり始めた趣味の話。最近の世間話から昔話までが、あいつ独特の筆跡で書いてある。文末は「何かあったらいつでも連絡しろよ」というメッセージと電話番号で締めくくられていた。

「相変わらず優しいな」

読み進めていくうちに、昔の記憶がフラッシュバックする。おぼろげだった十数年前の記憶や台詞が鮮明に蘇ってくる。同封されていた写真には、親友家族の幸せそうな日常や旅先でのワンシーンが多かった。親友はすっかり父親の顔になっている。その隣では奥さんが微笑んでいた。

「︙懐かしいな」

彼女の顔を見て、俺はつくづくそう思う。彼女は、俺の初恋の人だった。

俺と親友、そして彼女は幼馴染だった。親友はどんくさいところはあるけど、底抜けにお人好し。一方、彼女はいつもはつらつとしていて、周りに元気を与える存在だった。何をするにもどこに行くにも俺たちはいつも一緒だった。小学校の入学式で出会い、中学の頃は三人で夏祭りに行き、高校の文化祭では互いの高校に足を運び、大学では泊まりでスキーにも行くほどだった。勿論、喧嘩をしたことは何回かあるし、この二人以外にも仲の良い友達は沢山いた。それでも、俺はこの三人の関係性は何にとっても代え難いものだと思っていた。それこそ本物の兄弟姉妹のような感覚と近かった。「この関係がずっと続けばいい」と心のどこかで常に唱えていた。

「私さ、あいつのこと好きなんだよね」

 だからこそ彼女にそう相談されたとき、俺は何も考えられなかった。社会人二年目、会社帰りにレストランで集まったときのことだった。ちょうど、当事者の親友は席を立っていて、俺と彼女の二人きりだった。

「ねえ、どう思う?オッケーしてくれると思う?」

「え、あー︙そうだな」

俺は曖昧な返事を返すことしかできない。なぜなら、俺は彼女に惹かれていたからだ。自分でも詳しく覚えていないが、大学に入って以降、彼女のことを急激に意識し始めてしまい、俺は内心を悟られまいと精一杯だった。そして偶然にも、彼女に恋心を抱いていたのは親友も同じだったようで、言葉にはせずとも長年の付き合いで察していた。きっとあいつも俺の気持ちに気が付いていたと思う。

「何?なんでそんなに目が泳いでるの?もしかしてあいつ、彼女とかもういるの?」

煮え切らない態度の俺に、彼女はやや苛立たしげに問い詰める。「俺の気持ちを伝えるなら今しかない」と思った。けれど、そうすれば彼女だけでなく、親友を困らせてしまうことも理解していた。俺はこの二人を自分勝手な想いで振り回したくなかった。だとすれば、もう答えは一つしかなかった。

「そのまま告白すればいいよ。絶対に成功するから」

 俺がそう言うと、彼女は安堵の笑みを浮かべた。今まで見てきた彼女の中で、一番の笑顔だったと思う。俺の初恋が失恋に変わった瞬間だった。

その日を境に二人の交際は始まった。俺は複雑な感情で、二人のことを見守っていた。友人として祝いたい気持ち、未だに残る恋心、俺だけ置いて行かれたような疎外感。その全てが混ざり合っても、俺は二人の幸せを願うことにした。「それまでの関係性を維持したいから、まだ彼女に対する想いがあるから二人のことは祝福できない」とはならない。俺にとってはどれも大事なことだった。だから二人の時間を作れるよう話題を振ったり、親友が俺に気を遣わないようになるべく気丈に振舞った。それから程なくして、俺は二人とは疎遠になり、地方へ転勤することになった。二人の連絡先はいつの間にか消えていた。紛失したのか、俺が意図的に消したのかはわからない。

石油ストーブの上でケトルが勢いよく鳴った。気が付けば、俺は写真を眺めながら茫然としていた。俺はケトルを鍋敷きの上に避難させ、コーヒーを淹れ始める。ただただ無心でドリップしようとするも、俺の目は視界の端にあった手紙を勝手に読み返していた。

『今、俺は二人のことをどう思っているのだろう』

漠然とそんなことを考える。「もう未練や後悔はない」と言えば嘘になる。けれども、嫉妬や愛憎といったどろどろした感情を持っているわけでもない。自分が悲劇の主人公だとも思わない。二人のことを祝う気持ちは未だにある。それでも未だに引っかかり続ける僅かな想いを忘れることができない。それが少しだけ苦しいのだ。

 胸のつかえを下すように淹れたてのコーヒーを啜ると、懐かしい記憶と相まって感慨深い気持ちがこみあげてくる。

「よし」

 俺は携帯電話を手に取り、手紙に書かれている電話番号をダイヤルした。何を話すかは考えていない。どういう反応が返ってくるかもわからない。とりあえず、今の気持ちを正直に言うべきだと思った。緊張しながら待っていると、コールが鳴りやんだ。

「はい、もしもし」

 出たのは親友だった。数年ぶりに聞く親友の声に、俺はひどく懐かしさを覚える。緊張から一転、頬が緩むのがわかった。

「手紙、ありがとう。あと、結婚おめでとう」

 名乗るよりも先に祝辞の言葉が口を衝いて出る。かけてきたのが俺だとわかったのだろう。電話向こうで合点のいった声がした。

「おう、ありがとう。にしても久しぶりだな。何かあったのか?」

「いや、手紙を読んだら電話したくなっただけだ。写真まで送ってくれてありがとう。最初、誰から来たのかわからなかったよ」

「ああ、それは娘の物を借りたんだ。ちょうどいいサイズがそれしかなくて︙。そうだ、ちょっと待っててくれ」

親友はそう言うと、どこかへ向かって歩き出した。言われるがまま待っていると、電話の向こうから賑やかな声が聞こえてきた。子どもと遊んでいる彼女の声がした。

「よっ。久しぶりだね。ちょうど娘と遊んでたんだ」

 何年ぶりかに聞く彼女の声は少し大人びていた。明るさと落ち着きを兼ね備えている良い母親であることが窺えた。電話の向こうでは、今度は親友と娘さんが戯れている声が漏れてくる。とある一軒家のリビング、幸せに包まれた一家団欒の光景が目に浮かんだ。

「そうだったんだ。悪い、邪魔したな」

「気を遣いすぎだよ。そういうところ、変わらないね」

「そうか?」

「そうだよ」

 何年ぶりかにする彼女との会話はぎこちなかった。変に間が空いてしまって次の言葉を必死で探してしまう。本当にしたい会話を切り出す勇気がなく、段々と不甲斐ない気持ちになる。他愛ない話をしばらく続けた後、俺はとうとう耐え切れなくなった。

「ごめん、もうそろそろ切るよ。また時間ができたらかけるよ」

「え?もう?」

 驚く彼女を無視して俺は続ける。

「あと、結婚おめでとう」

 「またな」と消え入りそうな声で呟く。このまま話していたら、俺の想いが電話越しに伝わってしまうとわかっていた。二人の幸せな家庭に今さら水を差すような真似はできない。それが数年ぶりに話して出た俺の結論だった。俺が電話を切ろうとすると、押し黙っていた彼女が口を開いた。

「私、ちゃんと知ってるよ」

 彼女はきっぱりと言う。その声は先ほどまでの柔和な口調ではなく、どこかムキになった感じだった。

「私たちが付き合ったときにあなたが抱えてた気持ちとか、わざわざ二人の時間を作ってくれてたこととか。そういうの全部知ってたよ」

 「あと︙︙」と彼女はどんどんと例を挙げる。彼女のその独白に、心の奥から色んな想いが溢れ出してくる。「全然知らなかった」とか「そんなことない」とか返そうとするも、どれも喉の奥につっかえてしまい、上手く言葉になってくれない。

「だからありがとう、幸せにしてくれて」

 彼女のその言葉に目頭が熱くなる。俺は耳元から携帯を放して、天を仰いだ。洟をすすり、大きく深呼吸をする。すーっと胸がすくような思いがした。椅子を揺らしながら、心を落ち着かせる。

「正月に実家に帰るからさ、ついでに顔も見せに行くよ」

 窓の外の大雪に目をやりながら約束する。

「大丈夫なの?そっちは雪が凄いってニュースでやってたけど」

「意地でも会いに行くさ。手紙を送ってくれたお礼とお年玉を娘さんにあげなくちゃいけないからな」

「おーい、そろそろ俺にも代わってくれ。話したいことが沢山あるんだ」

 遠くで親友の声が響く。俺と彼女は笑い合うと、親友を交えてすべてを話した。その日はポットのコーヒーが空になるまで、俺たちは遠い日の思い出話に花を咲かせた。

著者 椎名想太郎
二〇〇〇年生まれの小説家。細々と物語を書いている地下作家、専門はファンタジー。陰キャ。インターネットでもあまり積極的に喋れないタイプ。二〇二一年六月のものがたり珈琲の「ターニングコーヒー」を担当。
コーヒーについて
思い出をふと振り返る。楽しくて笑みがこぼれる思い出もあれば、うまくいかなかった苦い思い出もある。ワクワクする嬉しい出会いもあれば、ちょっと切ない別れもある。今回のコーヒーは、四季折々のシーンを豆ごとにイメージし焙煎したアフターブレンドによって、その個性を引き出します。春のやさしい甘さと夏のクリアな酸味、秋の華やかな香りと冬の暖炉を思わせるほっこりとした味わいのブレンドをお楽しみください。
ものがたり珈琲
Instagram Twitter



左矢印