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海辺を目指して車を走らせた先で

海辺を目指して車を走らせた先で

朝日は嫌いだ。今だって俺の顔面に容赦なく降り注ぎ、心底望んでいる二度寝の邪魔をしてきている。きっちりとカーテンを閉めなかった昨日の俺が恨めしい。疲れているんだ、もっと寝かせてくれ。

社会人になって初めての部署異動があった。望んだ異動ではない。おかげで4月からの新生活は怒涛の日々だった。1か月ほどを過ごしてなんとか要領を得てきたものの、仕事に自身の活力のほとんどが奪い取られ、休日は充電のために家で静かに過ごしていた。

今日は休日なので昼まで寝続けるつもりだったが、朝日がそうさせてくれない。一度気になりだすと頭から離れなくなる性分なので、二度寝は諦めるしかなかった。なんて自分は繊細なんだろうなんて考えだすと、自分のことが嫌になってくる。

渋々カーテンを開けると、しばらく掃除をしていない乱れたワンルームが露わになる。汚い部屋も嫌いだ。歯を磨いていると、休日だというのに仕事のことばかりを思い出してしまった。

この無音の環境が良くないんだと思い、テレビをつけた。ちょうど朝のニュース番組で占いをやっている。

「おめでとうございます、今日の1位はさそり座のあなた。普段はしないことをしてみると、素敵な体験ができるかも」

俺はさそり座だが朝から安眠妨害があったので、1位だよラッキーだね、みたいに言われても全然ピンとこない。二度寝もできないし、毎朝食べているシリアルも全く食べたいと思えない。端的に憂鬱だ。

このままいつも通り家にいれば、憂鬱に飲み込まれて息が詰まりそうだ。

逃げ出してしまいたい。

最低限の出掛ける支度をし、行先も決めずに車に乗り込む。

カーナビを使わずに、ただ南に向かって車を走らせることにした。とりあえず海辺のほうに、それだけだった。行きたい場所なんてない、ただここではないどこかに向かいたい。

奇しくも占いの通り、普段はしない行動をしていた。

海辺には割とあっさりとたどり着き、その後はひたすら無心で海岸線を走り続けた。徐々に高くなってきた太陽から刺すような日差しが降り注ぎ、目を細める。

しばらく走っていると、さすがに何も食べていないことが辛くなってきた。

飲食店を見つけたら入ろう。そう思って数分後、ポツンと建っている1軒のカフェを見つける。

いわゆる古民家風カフェというやつだろうか。見た目は古臭い印象だが、飲み食いさえできれば問題はないので、即断でハンドルを左に切った。

車から降りてすぐ、潮風にあおられたことで海に来たことを実感する。いくら見渡しても砂浜は見えず、海と車道の間には古びたテトラポッドばかりが並んでいる。

入り口のドアを開けると、カランコロンとドアベルが音を立てる。4人がけテーブルが1つ、海が見えるカウンター席が5つというこじんまりとした造りだ。客は誰もいない。

キッチンスペースには人のよさそうなマスターがいて、「いらっしゃい」と声をかけてくれる。50歳くらいだろう。

カウンター席に腰かけると、マスターが「ごゆっくり」と言いながらメニュー表を机に置く。メニュー表の1番上に日替わりモーニングセットと書かれていたので、それを注文した。あてもなくやってきた店なので、あてのない注文でよかった。

海を眺めながら、注文したものを待つ。

雲一つない空の下、高い波が古びたテトラポッドを襲っている。

荒々しい波音がここまで聞こえてくる強い波だが、テトラポッドはひび割れた身体でそれを必死に受け止めている。

しばらく無心でその姿を眺め続けていた。テトラポッドは、来る日も来る日もひたすら波に打たれ続けることが仕事なんだろう。なんて哀れな存在だ。

そんな姿が今の自分と被ってしまい、テトラポッドにすらもうっすらとした嫌悪感が湧いてくる。

マイナス思考の波に飲み込まれ始めたタイミングで、マスターがサンドイッチとコーヒーを運んできた。

喉が渇いていたので、すぐにコーヒーに口をつける。

すっかり油断してた俺は、思わず目を見開いた。

もう一口飲む前に、ちゃんと匂いを嗅いでみる。チョコレートやナッツの香ばしい香りに包まれる。

二口目を飲み込んで、少し長めに息を吐く。

コクがありつつもビター過ぎない。胃の中にスッと入っていったが、後味に心地よい余韻を感じる。

最近はただ必死で、生きるために飲み食いをしていた。味わうという行為をここしばらくした記憶がない。毎日ずっと、いつもと同じようなものを、いつもと同じペースで飲み食いするだけだったのだから仕方がないかもしれない。

でも、今日はいつもと違う。

偶然出会ったこのコーヒーは、何故か俺のすり減った心に優しく寄り添ってくるように感じる。癒しを与えられるのは当然嬉しいことなのだが、このような経験は初めてなので、癒される以上に不思議な感覚が押し寄せてくる。

「すみません、このコーヒーは一体何なんでしょうか」

俺は思わずマスターに声をかけてしまった。今日は本当に普段しないことばかりをしている。しかしこれは占いに従って普段しない行動をしたのではなく、自然と口をついて出てきた言葉だった。

「ははは、何なんでしょうか、ですか。私は海のブレンドと呼んでますよ。朝日をイメージしたフルーティな豆を、少し深めに焙煎したんです」

冷静に考えると悪い意味にもとれそうなぶっきらぼうな声掛けだったが、俺が良い意味で驚いているということは無事に伝わってくれていたようだ。焙煎とかは詳しくないのでよくわからないが、海や朝日という言葉は、確かに味わったイメージと合致していた。

「朝日ですか。俺、朝日は嫌いなんですけど、このコーヒーは好きです」

「ありがとうございます。よければ、なぜ朝日が嫌いかをお聞きしても?」

コーヒーと同じく、マスターは寄り添うように話を振ってくれた。マスターの柔らかい雰囲気のおかげか、海のブレンドへの好意のおかげか、自然と話し出すことができる。

「朝日が嫌いというよりは、今の仕事が嫌いで。仕事が嫌いだから、仕事の日の朝も嫌いで、朝日も嫌いなんです」

「今の仕事、ということは、前の仕事は嫌いではなかったとか?」

「そうですね、4月に部署異動したんですけど、前のほうが良かったです。今は望まぬ仕事がひたすら降り注いできて、なんとかそれをこなしている感じですかね」

「そうでしたか。人間余裕がなくなると、嫌いなものが増えてしまいますよね。私も昔、そういう時期がありました」

「はい、最近嫌いなものがどんどん増えてしまって、そんな自分も嫌いです。さっきここから見えるテトラポッドすらも嫌いになりかけてました。なんか荒波に飲まれている姿が、自分と被っちゃって」

「私はあのテトラポッド、好きなんですよね」

「どうしてですか?」

「ちょっと見せたいものがあるので、サンドイッチでも召し上がって少々お待ちいただけますか」

マスターは戸棚を開けて何かを探していた。俺はマスターを目で追いながら、促されたままにサンドイッチを食べる。

マスターが戸棚から取り出したそれは、一枚の写真だった。

「この写真、この店を創業した25年前に、今お客様が座っている席から撮ったんです。テトラポッドをよく見てみてください」

テーブルの上に置かれたその写真は、確かに目の前の風景と同じ風景を写していた。ただ、写真の中のテトラポッドは、いま目の前で波に打たれる”それ”とは違い、白くて真新しい姿をしている。どうやらあのテトラポッドは25年以上も荒波を跳ね返し続けているようだ。

「格好良いと思いませんか??テトラポッド。ずっと健気に頑張ってるんですよ」

「テトラポッドのことを格好良いっていう人に初めて会いました」

「疲れて、目に映るもの全てが嫌になるとき、私は好きなコーヒーを飲むようにしています。そしてもう一度それらを見てみると、違う見え方になったりします」

そう言われた俺はコーヒーを飲みながら、視線を窓の外のテトラポッドに移す。確かに最初に見たときは哀れにしか見えなかった”それ”から、風格のようなものを感じなくもない。

「わからなくもないですね」

「余裕がないと嫌いなものが増えますが、逆に言えば好きなものが増えると余裕が出てくるということかもしれません。好きなものに囲まれているのに全然余裕がない人って、あまり想像できないでしょう?」

「それはたしかに、そうですね」

「好きなものが増えると、世界が美しく見えますよ」

たしかに、今コーヒーを片手に見る窓の外の景色は、最初この席に座って見たそれよりも美しく見える。荒々しく聞こえていたはずの波音も心地よく感じてくるから不思議だ。

「世界の美しさまではわからないですけど、少なくとも今ここから見える景色はさっきより美しく見えるかもしれません」

「では、テトラポッドも好きになりましたね?」

「いやいやそんなに、好きとまでは言わないですけど、まあもう嫌いではないですよ」

マスターのほうを見ると、いたずらっ子みたいな笑顔を俺に向けている。マスターはよっぽど俺をテトラポッド好きにさせたいようだ。

「テトラポッドすら好きになれるなら、自分のことも好きになれそうではないですか?」

マスターは変なことを言う人だ。でも妙な説得力があるから恐ろしい。俺はまたコーヒーを飲みながらテトラポッドを眺めた。

テトラポッドは懸命に高波を跳ね返している。

跳ね返された波は朝日を反射して美しく煌めく。嫌いだったはずの朝日に、美しさを見出してしまった。

まだ自分を好きになれるかまではわからない。でも、ちょっと前を向ける気がする。

俺はマスターにコーヒーのおかわりをお願いして、朝日が昇りきるまでここで余韻に浸ることにした。

著者やすだ かんじろう
北海道出身、理系の物書き。大学院修士課程ではAIの効率的なICチップ実装について研究。現在はIT企業の知的財産部門で特許権利化業務に従事する傍ら、http://monogatary.com等のWEB小説投稿サイトにて小説を投稿。WonderWord×monogataryコラボ企画にて優秀賞受賞。
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