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しあわせな目覚めの時に

しあわせな目覚めの時に

携帯の画面に表示されている時刻は、もうすぐ23時を過ぎようとしている。

今日も彼からの連絡がこない。

いくらLINEのアプリを開いても、画面はさっき見たのと変わらないまま。すぐに目に入るように1番上にピン止めされた彼のトークに表示されているのは、今朝私から送った"今日もお仕事頑張ってね"のメッセージ。

既読はもちろん、ついていない。

「はぁ」

画面をOFFにしながらふと漏れるため息。

前はこんなんじゃなかったんだけどな。

彼とは、大学のテニスサークルで出会った。

初心者だった私に何でも優しく教えてくれた1つ上の先輩は、いつでも私の憧れだった。間違っていることは間違っていると、誰に対しても臆することなく自分の意見を言う、曲げない信念を持っている先輩がすごくかっこいいと思っていたし、とても尊敬していた。

私もあんな人になりたい。そう思わせてくれるような魅力が先輩にはあった。

そんな先輩から告白されたのは、今からもう4年も前のこと。

私が大学3年生、先輩が4年生の頃だった。

早々に大手商社からの内定をもらっていた先輩に、就活の相談に乗ってもらったことがきっかけで距離が縮まり、晴れてお付き合いすることになったのだ。

夢のように舞い上がったこと、すごく覚えている。

彼は大学を卒業し、4年間学んだ大阪を離れて単身上京した。

私たちは、こうして東京と大阪の遠距離恋愛となった。

「東京と大阪なんて、新幹線でたった3時間だから。大丈夫だよ」

なんて彼は言うんだけど、新幹線で3時間って、結構遠いと私は思う。

今までは会いたいと思ったらすぐに会える距離だったのに。

でも、そんな遠い距離を月に1度行き来するのが私の楽しみになった。

彼に会いに行く日はうんと早起きして、始発に近い6時台の新幹線に乗る。

片道約14000円という金額は、正直お財布には厳しいけれど、そんなことはどうでもいいって思えるくらいわくわくが勝つ。

早朝の新大阪駅のコンビニで朝ご飯のパンとカフェオレを買う。

握りしめた東京行ののぞみの自由席チケット。

どうしても左の窓側の席に座りたいから、ちょっと早めに列に並ぶ。

やっと席に腰を下ろし、さっきコンビニで買ったパンとカフェオレをいただきながら、窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺める。

京都を過ぎ、名古屋を過ぎ、しばらく時間が経った頃、窓の向こうに大きな山が現れる。

そう、私はいつもこれを見たくて左側の席のチケットを取るんだ。

スカートのポケットから携帯を取り出して、写真を撮る。

『見て!今日の富士山、めっちゃキレイやで!』

そうLINEで送る相手は、もちろん彼。

『もう静岡か!もうすぐだね!楽しみ!』

すぐに来る返信が嬉しい。あともう少しで彼に会える。

東京に向かう新幹線は、いつもわくわくでいっぱいだ。

3時間の時を経てたどり着いた東京駅。

いつも待ち合わせするのは八重洲中央口。改札の前で待っている彼を見つけるといつも飛びつきたくなってしまうけれど、ちょっとだけ周りの目を気にしてしまうので、小走りで駆け寄るくらいにする。彼はいつもそんな私を満面の笑みで迎えてくれる。

「よく来たね」

今まで、色んなところに2人で行った。ディズニーランドも、浅草も、スカイツリーも、表参道も渋谷も。どこに行っても彼となら楽しいのだけれど、私は彼の家の近くの何でもない道を一緒に歩いている時間が1番好き。だって、なんだか一緒に暮らしているような気分になれるから。

彼がいつも見ている景色に、彼の何気ない日常の中に自分がいるのが嬉しくて。彼と一緒に過ごせる時間が、たまらなく幸せだ。一緒にいられる時間が永遠に続かないって分かっているからこそ、会える時間にはタイムリミットがあると分かっているからこそ、一緒に居られる時間がすごく大切だと思う。

行きはあんなにわくわくした新幹線。でも、帰りは全然そんな気持ちになれない。離れたくない。帰りたくない。繋いだ手を離すのが名残惜しい。当たり前のようにまた明日ねってバイバイ出来たらいいのに、そんなことは叶わない。今この手を離してしまうと、次に会えるのは1ヶ月以上先なのだ。

発車の時刻が迫ってくる。

「ありがとう。めっちゃ楽しかった」

新幹線のホーム。彼の方を向いてそう伝える。

笑顔のはずなのに、おかしいな。ちょっと涙が出てきてしまう。

「もう、泣かないの。またすぐに会えるよ」

困ったように、でもちょっと嬉しそうに彼は言う。

発車のベルが鳴る。

私は急いで新幹線に乗り込む。

閉まっていくドア越しに、彼と目が合う。

「ありがとう。好きだよ」

声は聞こえないけれど、確かに彼の口の形はそう動いていた。

ホームにいる彼が見えなくなるまで手を振った。わくわくだった行きとは打って変わって、帰りの新幹線はしんみりとした気持ちになってしまう。

窓の外も暗くてもう何も見えない。

バイバイは苦手だ。寂しい気持ちに拍車がかかるから。

そんな日々を、何度も何度も繰り返した。

楽しいと寂しいを幾重にも積み重ね、私たちはともに時を刻んできた。

離れていても、お互いのことを想う気持ちと、会いたい気持ちは変わらなかった。

はずだった。

目まぐるしく変わっていく世の中、私も彼もどんどん忙しくなっていった。

なかなか予定が合わない日が続いていき、月に一度のはずだった行き来の間隔は、どんどんどんどん開いていった。

今までは2人で会える時間を最優先に予定を立てていたはずだった。でも最近は、その日は別の予定がある、その日はどうしても外せない用事が、ごめんそこは無理と、のらりくらりとかわされてしまう。

気が付けば彼の中で、わたしの存在は最優先ではなくなってしまっていたらしい。認めたくはないけれど、どうやらそうらしい。

すれ違っているなってことくらい、自分でも分かっていた。でも、何が原因なのかも分からないし、彼が今何を考えているのかも分からない。私は一体どうするべきなのかも分からない。

はぁと溜息をつきながら、連絡がこない携帯の画面を眺める。冷めてしまったコーヒーが苦く感じる。彼から連絡の来ない夜は、なんだかやけに長く感じてしまう。

苦手だったコーヒーを飲むようになったのは、彼の影響だった。

まるでカフェイン中毒かのように毎日それはそれはおいしそうにコーヒーを飲む彼。そんな彼とのコーヒータイムを共にしたくて、頑張って飲むようになったんだっけ。彼はいつもブラックで、わたしは砂糖とミルクをたくさん入れて。

ブラックのおいしさはわたしにはまだ分からないのだけれど、彼の習慣であるコーヒータイムを一緒に過ごせるようになったのは、とっても嬉しかった。なんだか少し、大人になったような気さえした。

彼は今、どこで何をしているのだろう。考えたくないのに考えてしまう。

寂しい。会いたい。

そう思っているのは私だけなんだろうか。

そんな気持ちをかき消すように、コーヒーをぐいっと飲み干した。

お風呂、入ろう。

湯船に浸かりながら考えるのは、やっぱり彼のこと。

考えるのもうやめようって、何度も何度も思っているのに、頭の中から消えない。

こんなに好きなのに、こんなに寂しいのに、こんなに苦しいのに、この想いが一方通行になってしまっているような気がして、どんどん辛くなってくる。

長湯しすぎて火照った身体を保湿する。化粧水にボディクリーム、髪の毛にはヘアオイルを忘れずに。彼に会った時、いつも一番可愛い私でいたいから、セルフケアには手を抜かない。

なんて、次いつ会えるのかもわからないんだけどさ。

寝る準備を終えて、お布団に入る。時刻は深夜1時を過ぎようとしていた。何度携帯をチェックしても、彼からの連絡は来ない。

もう諦めて眠りにつこうとした時、着信が鳴る。

「︙︙もしもし?」

彼だった。

もう寝ようと思っていたタイミングで電話してくるなんて、タイミング悪いな、なんて思いつつ、喜んで出てしまう私も私だ。

久しぶりに聞く彼の声はいつもと変わらず優しくてわたしを安心させた。いつも通りに他愛もない会話をしながら、やっぱり思う。これだけ寂しいと思っていたのはわたしだけだったのかな、なんて。彼はあまりにもいつも通りだったから。

だから、思い切って伝えてみた。

最近連絡が来なくて不安だったこと、全然会えてないことが寂しいこと、寂しいと思っているのが自分だけなのかと思って不安なこと。

溢れ出る感情が止まらなくて、気が付けば電話越しに涙を流していた。

彼は、驚いたように言った。

「ごめんな」

そして説明してくれた。最近急に仕事が忙しくなったこと。休日出勤も多くなってゆっくり休む時間も取れないこと。余裕がない時に連絡をしたら冷たくしてしまいそうで出来なかったこと。

でも、言わなくても分かってくれるとどこか思っていたということ。

いや、むしろ言わなくても分かってほしい、察してほしいと思っていたこと。

私たちに足りなかったのは、自分の想いを伝える言葉だった。

寂しいと口に出して言わなかった私。

忙しくて余裕がないと伝えなかった彼。

どちらも、自分の事情を相手に汲み取ってほしいと思ってばかりで、自分からは何も伝えようとしなかった。思っていることはちゃんと伝えなければ伝わるわけないのに。

すぐに会える距離じゃない。顔を見て話せるわけじゃない。だからこそ、思っていることはちゃんと言わないと伝わらない。自分が感じたことはちゃんと伝えないと、分かってもらえるはずがない。

その日から私たちは、ちゃんと想いを伝え合うようになった。

嬉しいも、楽しいも、寂しいも、苦しいも、大好きも。そして、ありがとうとごめんねも。

いつ何が起きても後悔しないように。あの時ちゃんと言っておけばよかったって思わないように。

駅前に巣を作っていたいたツバメが巣立ったこと。近所に綺麗なアジサイが咲いていること。いつもは座れない電車で座れてラッキーだったこと。気持ちを伝え合うことをしていたら、そんな些細な日常も話すようになった。

私の目で見えた日常を彼に伝え、彼の目に映った日常を教えてもらう。同じ景色を見ているわけではないけれど、それぞれの街でそれぞれが過ごしている日常を交換している感じがして、ささやかな幸せを感じた。

人生って、小さな幸せの積み重ねなのかもしれない。何気なく通り過ぎてしまうようなものに目を向けてると、実はすごく楽しいことが待っていたり、今まで見えていなかった景色が見えてきたり。そんな小さな幸せを彼と交換できる時間が、たまらなく愛しく思える。

『コーヒー送った。一緒に飲もう』

そんな一文の連絡が来た後に家に届いたのは、ドリップコーヒーだった。

彼のモーニングルーティーンであるコーヒータイムを一緒に過ごそうという、彼からの提案だった。

朝起きてカーテンを開ける。

まぶしい陽の光に目を細めながら伸びをする。

ポットでお湯を沸かしている間に少しストレッチをしていると、だんだん目が覚めてくる。お気に入りのマグカップにセットしたドリップバッグに、少しずつお湯を注ぐ。部屋中に香るコーヒーの良い香り。相変わらずブラックは苦手だから、ミルクと砂糖を忘れずに。

よく陽の当たる窓辺の特等席に腰掛け、コーヒーに口をつける。

すっきりとした癖のない味。とっても飲みやすい。

どうやらこれは、彼がわたしのためにセレクトしてくれたものらしい。

悔しいけれど、私の好みをよくわかっている。

新幹線で3時間の距離の向こうのあの街でも、きっと彼はこのコーヒーを飲んでいる。

同じ空間にいるわけではないけれど、彼と同じコーヒーを飲んでいるというだけで、なんだか嬉しくなってしまう。

彼は今、どんな気持ちでこのコーヒーを飲んでいるのかな。

彼のモーニングルーティーンであるコーヒータイムが、いつしか私の朝の習慣にもなった。

平日の朝は少しだけ早起きして、休日の朝は彼と電話をしながら飲むコーヒー。

朝のこの時間を設けるようになってから、なんだか少しだけ心が豊かになったような気さえする。

毎朝彼の顔を思い浮かべながら飲むこのコーヒータイムは、ささやかな幸せの時間。

こんな小さな幸せをこれからもずっと積み重ねていきたいなって思う。そしていつか、彼の隣で一緒にコーヒーを飲む朝を過ごせる日が来たらいいな、なんて。

なんだか、今日も良い日になりそうな気がするな。

「よし、今日も頑張るぞ」と小さく自分につぶやいた。

著者あやめし
1993年、大阪生まれ。会社員の傍ら、フリーランスのライターとしても活動。毎日日記を書いているnoteでは1000日連続更新を達成し、現在も記録を更新中。旅と音楽と写真が好き。
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