タップで読む

喜びを分かち合いたい時に

喜びを分かち合いたい時に

“お元気ですか? あなたのいる場所の今日は、どんなお天気ですか?

私たちが最後に会った日から、もう随分経ちました。

私はこの町に移り住んで十五年になります。スーパーも病院も、美容室も隣人も、引っ越してきた当初と何ひとつ変わらない町で、私もまた何ひとつ変わらぬまま最後まで暮らしていくのだろうと思っていたけれど、どうなるかなんて誰にもわからないものですね。私は来月、この町を離れることになりました。”

これまで趣味という趣味も持たず、むやみに散財する方でもなかったけれど、それでも引っ越しまでに少しでも持ち物を整理しようと、あらためて部屋の中を見渡すと、案外たくさんの物に囲まれて過ごしていた。十五年という時間をかけて、私がすっかり町の風景に溶け込んでしまったように、あちこちからうちにやってきたいろんな物も、いつしかすっかり我が家の風景に溶け込んで、だからいつの間にか、ひとつひとつがそこにあることにさえ気が付かなくなっていた。

少し前に、雨が降り始めた。予報では降るはずのなかった雨。この雨はどこで生まれ、どんな旅をしてきたんだろう。雨が初めて見た世界のことを考えたとき、あの人に手紙を書こうと思った。

“先日、押し入れの奥を覗くと、いつしまったのかも思い出せない小さな段ボールの箱が出てきました。恐る恐る開けてみると、中には小さい頃に描いた絵や作文が、ぎっしりと詰まっています。一枚一枚手に取って眺めていると、思いがけず懐かしい絵が出てきました。”

私はいろんなことをすぐに忘れてしまうけれど、その絵を描いた日のことは、今でもはっきりと覚えている。小学校の図工の授業で描いた校庭の松の絵。地面と水平方向に伸びる枝に青々と茂る松の葉が、あのとき私の目には、ぽつん、ぽつんと空に浮かぶ、雲のかたまりのように見えたのだ。だから画用紙にも、雲のような松を描いた。絵筆を柔らかく滑らせ、ゆるやかに曲線を描く。ところどころに色を重ねて、濃淡をつける。そうするうちに画用紙の上には、私の目に映るままの松が浮かび上がってきた。目に映るものをそのままに形にできたことに、私は興奮した。ところがしばらくしてやってきた先生は、私の絵を見るなりこんなふうに言ったのだった。

「もっとちゃんと見て」

針葉樹の松がふわふわしているはずがない。もっと尖っているはず。もっとちゃんと見て。

それを聞いて、私は子供ながらにひどく腹が立った。どうしてそんなにも腹が立つのか自分でもわからなかったけれど、腹が立って、悔しくて、涙が出そうになった。何を言い返すこともできないまま手元に視線を落とすと、さっきまで夢中になって描いていた松の絵が、途端にひどくつまらない、不恰好なものに思えた。そう思ってしまったことが余計に悔しく、余計に涙が出そうになった。それで私はさながら先生への当てつけのように、雲のような松から、波平さんの髪の毛みたいな細い線を三本、真っ黒の絵の具でまぬけに生やした。それでその絵は完成にした。授業が終わり、完成した絵を黙って先生に差し出すと、先生の方もやはり黙って私を見るばかりで、あれ以上何を言うこともなかった。

押し入れの奥から出てきた松の絵には、あのとき描き足した三本の線、幼かった私の精一杯の抵抗の跡が、今も残されている。

“いつかあなたに見せた松の絵を覚えていますか? 私は可笑しいと笑ったのに、あなたは決して笑おうとしませんでした。笑う代わりに、あなたは静かに涙を流しました。どうしてあなたが泣いたのか、あのときの私にはわからなかった。だけど最近、やっとわかったのです。あなたは子供だった私が流し損ねた涙を、私の代わりに流してくれたんだって。”

数ヶ月前、うちから歩いて五分ほどの場所に小さな公園を見つけた。もう15年もここに住んでいたのに、その公園は駅とは反対方向にあったせいで、今までその存在にすっかり気付かずにいた。公園には遊具も何もない代わりに、小さな砂場と数台のベンチが設置してある。何度か訪れるうちに私は、そんな公園の一画に、ようやく自分だけの場所を見つけた。自分だけの、と言っても私がいないときのそこは、顔も名前も知らないほかの誰かの特別な場所になるのだろう。それでも私がいるとき、そこはたしかに私だけの場所だ。

私はその公園を訪れるといつも、何をするでもなく私だけの場所にただじっと座って、公園を訪れるたくさんの生き物を眺める。休みの日には、親に連れられてやってきた小さな子供たちが駆け回る。平日には、お弁当を食べにやってくる人、こっそりタバコを吸いにくる人、散歩途中の近所のお年寄りが、代わる代わるベンチに腰掛ける。人間ばかりでなく、たくさんの鳥や虫も、この公園で自由に羽を伸ばす。よく見ていると彼らもまた私と同じように、公園の中に、自分だけの場所を見つけているらしい。私の場所の近くに植えられているつつじの木は、大きな一匹のアブの縄張りだ。ブンブンという強烈な羽音でときどき私を脅かすけれど、私が何もしなければ、あちらもそれ以上のことはしない。公園では人間もそうでない者もみんな同じように太陽の光を浴びて、みんな同じように、ただの生き物になる。

“大人になった私は、自分がすっかりちゃんと見ることができるようになったと思っていました。でも本当はそうじゃなかった。会社でも家でも、いつも小さな四角い箱の中にいました。音も、景色も、匂いも、手触りも、必要最低限のもの以外すべてを遮断する小さな四角い箱の中に、自分を閉じ込めるようにして生きていました。見えないように、聞こえないようにしていただけだったのです。”

半年前のある日、朝になっても、昼になっても、ベッドから起き上がれなくなった。

会社に行こうと起き上がろうとするものの、体の方が頑なにそれを拒み続ける。それでも最初のうちは、ほんの少し休めばまたいつも通りの日常が戻ってくると思っていた。会社にもそう伝えた。けれども時間とともに、どうもそう簡単にはいかないということがわかってきた。なんとか這うように病院に行ってみても原因はわからず、私はすっかり途方に暮れてしまった。

仕方なくくる日もくる日もベッドの上で過ごしていると、あるときふいに窓の外から、雨の降り出す音が聞こえてきた。ぽつ、ぽつと静かに降り出した雨は、次第にざー、ざーと勢いを増し、カーテンを締め切った部屋の中からも、外の様子を手にとるように窺い知ることができた。ベッドに横たわったまま、ベランダの物干し竿に滴る灰色の雨の滴を思い浮かべながら、こんなふうに雨の音を聞いたのは一体いつ以来だろうと考えた。幼い頃、家族がみんな寝静まった夜中にひとり激しい雨音で目が覚め、恐ろしさですっかり眠れなくなったときのこと。大学時代、友人と訪れたキャンプ場で突然の豪雨に降られ、ひっきりなしにテントに打ち付ける大粒の雨音を、誰かの叩く太鼓のようだと思ったこと。いつかの会社帰り、ぎりぎりまで水の張ったコップがとうとう溢れ出すかのように、真っ黒な空から落ちてきた最初の雨粒。これまで一度も思い出すことのなかった記憶が脈絡なく次々と頭の中に浮かんでは消えていく。まるで愛情に飢えた幼い子供が、しばらく会えずにいた母親に自分の話を止めどなく語り聞かせるかのような時間に、私は抗うことなくじっと身を任せていた。

いつの間にか部屋の中の湿度が上がり、毛布を被った体が汗ばんでいた。気が付くと、とても長い旅から帰ってきたあとのような心地よい疲れと、これまで味わったことのない、奇妙な爽快感に包まれていた。その日を境に、私の体は少しずつ回復していった。

ペンを置いて立ち上がり、キッチンでコーヒーを淹れる。少し前までコーヒーは、一日の中でより長く働き続けるために、毎日決まった時間、ただやみくもに体に流し込むものだった。けれども今コーヒーは、日常のふとした瞬間、少しだけ遠くに離れた自分の気持ちを、安心できる場所へと優しく呼び戻してくれるもの。ドリップ中に静かに立ち上る香ばしい香りと、口に含むまろやかな苦味で、私はいつでもすぐに私に戻ってくることができる。

雨音が止んでいることに気づき窓の外に目をやると、空にはうっすらと大きな虹がかかっていた。私は来月から新しい町で暮らし、新しい場所で働く。長い間信じ、積み重ねてきたこれまでの生活の形をすっかり手放すのだから、もっと不安になったっておかしくないのだろうけれど、不思議と今、不安なことは何もない。音も景色も、匂いも手触りも、喜びも悲しみも、ときに痛みさえも、世界に起きるすべてを、ただ私の感じるままに感じたい。そう望み続ける限り、新しい始まりの向こうには、怖いことなんてひとつもない。

“あの日、いつもと同じベッドの上で私は、ずっと見つけなければいけなかった私を、ようやく見つけることができました。四角い小さな箱の中で、今にも窒息しそうになっていた私、外に出たいともがき続けていた私を、私自身の中に、やっと見つけることができたのです。

私の悲しみに寄り添ってくれたあなたに、今度は雨の音が聞こえる喜びを届けたい。

そして私もまた、あなたの悲しみや喜びを、共に感じることができたら。

お元気ですか?

あなたは今、何を見て、聞いて、何を感じていますか?“

著者 紫原明子(しはらあきこ)
エッセイスト。一九八二年、福岡県生まれ。著書に『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)がある。
コーヒーについて
同僚の昇進祝いに、恋人の誕生日に、特別美しい夕焼けに出会った時に。嬉しいことがあった時は、周りの大切な人と一緒に喜びを分かち合いたくなるもの。今回は、雨上がりに虹を見つけた時のようなワクワクする気持ちを引き立ててくれるコーヒーにしました。ケニアとエチオピアの豆を中心にしたブレンドを中浅煎りにして、ツルッと滑らかな舌触りの中に、色とりどりのフルーツの酸味と甘さを感じられる一杯です。
ものがたり珈琲
Instagram Twitter



左矢印