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夢への最初の一歩を後押ししたい時に

夢への最初の一歩を後押ししたい時に

「もう一度、歌いたくなったんだ」

と、活動を休止していた同世代のミュージシャンから連絡があった。

「もうすぐ四十だろ。“今さら”と思う気持ちより、“今のうち”と思う気持ちが日に日に強くなってきて。あの頃は、待ってくれている人たちがいたのに、歌うことをやめてしまったけれど。今は、待ってくれている人がいるのかも分からないけど、歌いたいって思う。これって、まだあきらめてないってことだよな。なあ、歌詞書いてくれよ」

「ああ。良いねえ、そういうの。きっと大丈夫だよ。何だかこっちもワクワクしてきた」

メジャーまでは届かなかったものの、彼のバンドは人気だった。何度もライブハウスに足を運んだし、部屋やスタジオで生み出された“たった一曲”がこんなにも多くの人を熱くすることができるんだ、と僕のふつうの日々に希望を灯してくれている存在だった。

彼はまた立ち上がろうとしている。自分はどうだ。

そして、僕は自分の人生をたどり始める。

歌詞を書きはじめた朝、コーヒーを飲みながら。

コピーライターという仕事をするようになって、何千日目の朝だろう。

いや、僕が生まれてから、何千日目の朝なんだろう。

“自分以外の誰か” の期待にこたえることくらいしか、人生の意味を知るわけもなく、勉強漬けだった中高時代。きっとこのまま “誰かの期待に応える自分” になっていく、それが人生というものなんだろう。漠然とそう感じていた。

中学受験、進路の選択、大学受験、その先にある就職。学歴と人生のレールをイメージすると、とても窮屈だった。

まだ、高校一年生だろ、将来のことなんて決められない・・・

もう、高校一年生だろ、そろそろ将来のこと決めないと・・・

そんな大学受験の狭間に立っていたとき、家庭環境は激変した。

「心配いらないから。あまり贅沢はできなくなるけど。変わらず勉強して、いい大学に行くんだぞ」

父はそう言うが、母は時折泣いていた。大変なことになってきた。恵まれた家庭であたたかく育てられてきた僕は、父が経営していたファッションの会社をたたみ、はじめて社会の荒波というものを肌で感じていた。

あっけなく、ファッションにもこだわらず、父は別の仕事に就いた。母も贅沢を言わない人だった。ふたりは本当に強かった。

勉強して、いい大学に行けば、安泰なのだろうか。明日はだいたいやってくるが、“今日と同じ明日”とはかぎらない。僕の中で、もう何かが変わってしまった。

「勉強よりも、人生には大事なものがあるはずだ」

優等生ではなく、強くなりたいと思った。何があろうと、世の中を颯爽と生き抜く強さを。

そのとき、僕ははじめて自分の人生への提案を思いつく。

「そうだ!勉強することをやめてみたら、どうなるんだろう」

よい子は、絶対に真似をしないでほしい。

心の中で、父と母に何度も謝りながら、ぼくは突然勉強することをやめてしまった。ざわつく教室、驚く先生。はじめて五点のテストの答案用紙を受けとったとき、少しだけ世界が変わった気がした。清々しかった。

人生を振り返ったとき、たまにこの出来事を思い出してしまう。

テストで五点をとった日から十年後、僕は広告代理店の営業をしていた。

「今日は、キミに話しておかなきゃいけないことがあって・・・」

打ち合わせが終わったあと、クライアントがめずらしくコーヒーを注いでくれる。余白の時間、変化の予感。

「十月で異動になるんだ。つぎは工場長だってさ。会えなくなってしまうのは残念だけど、これからもがんばって。キミが担当でよかったよ、ありがとう」

感謝の気持ちと、自分への問いかけが湧いてくる。

「僕は、いつまでこの仕事を続けるのだろう・・・。あの頃願ったように、強くなれたのだろうか」

大好きな音楽を扱うレコード会社には縁がなく、内定が出た大手メーカーで安泰な生涯を送る決意もできず、「一緒にメディアをつくろうよ!」とクラブで声をかけてもらった人の事務所に入る勇気もなく、ふつうの大学を卒業した僕は、今日、ここにいるんだった。

そうか、そうだった。

日々に流され、出会いがあって別れがあって、まわりに一喜一憂する日々。

ふと、このままじゃ、何も残らない人生になる気がした。でも、一歩踏み出せば、どう転がるかわからない。

帰り道の夕日が、本心に染みてゆく。

「感性を生かして、人の心や形に残る仕事をするんじゃなかったのか。今日、僕は何か人の心に残る仕事ができたのだろうか・・・」

僕にとっての強さは、まわりに流されることなく“自分から出てくる何か”で勝負し、生き抜いていくことだった。

まだまだ弱き自分。人に気に入られることばかりがうまくなり、とてもじゃないがクリエイティブとは思えない日々だった。

このままでは、思う未来にはすすめない。その日の夜、僕は眠い目をこすりながら久しぶりに詩を書きためていたノートを開き、いつもの日々にあらがった。

それからというもの、夜な夜な創作活動がスタートする。詩や歌詞、小説のようなものをノートやブログに、寝落ちするまで書きつづる。思いもよらない言葉と出会えるだけで、冒険に出ているようで楽しかった。

「言葉を書く人なんだね。オレは、バンドをやりながら絵を描いてるんだけど、良かったら一緒に絵本でもつくってみない?」

そうか、そうだった。出会いは、この時だった。

仕事が休みの日に通うようになったカフェギャラリーで、絵を描いている創作仲間ができて、絵本の共同制作がはじまった。創作活動はだんだんひとりだけのものではなくなり、バンド感覚のエモーショナルさがあって一層楽しくなってくる。

「そういえば、サンタクロースっていつまで信じてた?」

「結構、信じてたよ。色んなところを旅してきたサンタはきっとお腹を空かせてるだろうから、毎年カレーをつくって置いてたんだ。次の日、ちゃんとお皿がからっぽになってお礼の書き置きがあったから、てっきり、ずっといるものだと思ってた」

「それいい話だと思う!絵本にしてみようか」

そんな調子で僕たちは色んな絵本をつくって、ブログに公開していった。

もう二十代の半ば。正直、胸をはって言えるようなことではないと思う。飲み会やコンパで言えるはずもなく、親にも言えるようなことではなかったが、創作活動は楽しくて心底生きている実感がした。

「こんなことしても、あまり先は見えないよ」という絶望と、「ひょっとしたら、これは素敵なことになるかもしれないぞ」という希望を、行ったり来たり。この無駄なようで、無敵の時間が、僕を、僕にしてくれたのかもしれない。

絵本には少しづつコメントが寄せられるようになり、半年に1回ほどのペースで更新される絵本を楽しみに待ってくれる読者の存在は、活動を続ける理由になった。

そして、ある日出版社から一通のメールが届き、僕たちは喫茶店へ向かった。

コーヒーの味は少し、苦かった。

「絵がもっと良くなれば、出版できるかもしれません。このイラストレーターさんと組んで、つくり直してみませんか?あと、文章はもう少し“こども向け”にして書き直してみてください」という提案だった。

「どうする︙?作家になれるチャンスかもしれないよ」

「そうだろうけど、僕は優しくて、オシャレで、カッコいい絵本をつくりたい。音楽や小説のように、ぐっと人の心のやわらかいところに届くようなものを。それに、このまま一緒に続けていきたいし。チャンスはまたやって来るよ」

「そうだな。でも、ずっとやっていきたいことが絵なのかな?とも、実は最近思うようになってきて。実は、他にもやってみたいことがあるんだ」

「ほんと器用だよな。バンドも人気だし。僕には言葉しかないから羨ましいよ」

「言葉しかない、そんなものに出会えることって、なかなかないよ。オレもそろそろ決めないとな」

分岐点を感じる、沈黙があった。

いや、結局それぞれの再出発点だったのかもしれない。

それから数週間後、友人は大事な話があると僕を呼び出した。

「あれから真剣に何度も考えて、これからはオレ、実業をがんばっていきたいと思ってる。それとオレ、もうすぐ結婚するんだ。だから一層、仕事を頑張りたいなって。オレがやめても、お前はやめるなよ!」

それも強さだよな、と思った。

がんばる理由があって、がんばるべきことがあるなら、それも強さだ。

絵の創作活動もバンド活動も休止した友人は、ほどなく他のビジネスで起業し、絵本ユニットも解散となった。

「あきらめられないって、やっかいだ・・・」

ひとりではじめた創作活動は、絵本ユニットをはじめて“ふたりの夢”になった。でも、今はまたひとりだ。

自分だけが、おとなげなく夢を追っているような気がして、同世代に置いていかれたようで、焦りはつのる。でも、人生よ待ってくれ。これだけは譲れない。

テストで五点をとった日から十五年後、僕はコピーライターという仕事をするようになって走りだしていた。

「言葉を書くことを仕事にしていきたいなら、この企業を訪ねてみてごらん」と出版社の方が引き合わせてくれた会社で。

行きたいところまで、すぐにたどり着かなくても。行きたいほうには、行ける。それが、もがいた時間の実感だった。

絵本ユニットの友人、そして、かつての戦友に連絡すると、素敵なメールとエールをくれた。

「オレは章生って名前を、章を生む、と読んでたよ。文ではなく、章を生む。まさしく、それは、物語を生むってことやね」

いつの間にか、名前は希望になった。

走り方は、まわりと違っていたかもしれない。でも、気にするな。もうそれはずいぶん前からの話じゃないか。あの五点をとった日から。自分が自分を優しく励ます。

歌詞を書き終えた夜、コーヒーをもう一杯飲みたくなった。

著者 田中 章生
一九八二年生まれ。ストーリープランナー。名前にこめた想いを贈れるオーダーメイド絵本サービス “なまえギフト” の企画者。好きな小説家は、中村航。
コーヒーについて
新しい目標や夢に舵を切ろうと最初の一歩を進めようとする時、自分の決断を誰かに後押ししてもらいたいもの。 今回のコーヒーは、大地の力強さを感じさせてくれるアフリカ豆ベースのブレンドを浅めに焙煎し、オレンジやラズベリーのフルーティーな味わいにしました。 飲み終えた時には、後ろを振り向くことなく前に進めるような、力強さの中にも明るさのあるコーヒーです。 あなたの新しい門出をお祝いする一杯となりますように。
ものがたり珈琲
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